記憶に残る場所… と、言いながら 正確な住所を知らない場所なのだが…
静岡県の清水市から山梨県の甲府市へと移動しようと 車で走った国道52号線。
あらためて地図を見ながら 記憶を辿っていくと、どうやら 山梨県の身延町の近辺だと判る。
国道を北上して行く途中、人里離れた山間にポツンと一軒の店がある。
おそらく、これが江戸時代の話なら 峠の茶屋というのは こういう雰囲気だったんじゃないか?… そう感じさせる、木造の平屋で けっして大きくはないが、外見から ちょっと一服させてくれる店… という雰囲気を醸していた。
とある、仕事の過程の中で 清水で数日を過ごした後、甲府で数日を過ごさなければならず、移動の途中だったのだが、生憎、その日は霧がかかって 進めば進むほど濃くなっていく。
その道は 私にとって初めて走る道で 車にナビは積んでいたが、時間に追われた移動でも無いし、喉も乾いたし、腹も減った… そう思っていた矢先に ほんの一瞬、霧が晴れ、そこに 先に述べた店があった。
店の壁に
『絶品!! 清流手打ち とろろ蕎麦』
と 大書きされたのが目に入り、蕎麦好きな私の気を惹いた。
入ってみると、人の良さそうな老夫婦が2人で 店を切り盛りし、親父さんが蕎麦を 奥さんが店内やレジを分担してる… そんな店だった。
私は「お奨め」と書かれた「とろろ蕎麦」を頼み、食べてみたわけだが… いや、ホント 絶品だった。
あまりの美味さに「山菜蕎麦」も食べてみた。
もの凄く美味かった。
ざるとか せいろと言った「冷物」系の蕎麦屋なら 東京で美味いと思った店は何軒もある。
しかし、「温物」系で こんなに美味いと思った蕎麦は初めてだった。
その店は 私の「記憶に残る美味い店」リストに追加された。
私は 再び訪れる事を考えて 車のナビに位置情報を登録し、その店を後に 再び濃霧の中を甲府に向けて移動した。
半年ちょっと過ぎた頃、塩尻で仕事をした後、焼津に移動する事になった時、
「どのル-トで移動しようか…」
そう考えた私に この蕎麦屋の事が浮かんだのだ。
中央道から御殿場に抜けて東名…というコ-スが手軽で簡単だったが、その日の移動も 幸いに時間的に余裕が充分にあるし、なによりも あの美味い蕎麦が食いたい。
だから、私は途中まで中央道で行き、途中から国道54号を南下するル-トを選び、全ては ナビに登録しておいた蕎麦屋の位置情報を頼りにである。
前回は濃霧の中での移動だったから 車の外は白一色だったのだが、二度目のその時は スッキリと晴れ渡っていた。
晴天の下の景色は まさにパノラマ。
とても素晴らしい光景だった。
そして、しばらく そんな景色の中を走り、ナビが
「目的地周辺に到着しました…」
というボイスナウンスを告げた時 私は呆然とした。
山間にポツンと一軒の建物は たしかにあった。
壁に『絶品!! 清流手打ち とろろ蕎麦』という看板もあった。
ところがだ、その建物、どう見ても 数年(おそらく4・5年以上)放置された廃屋なのである。
しかも、それを裏付けるように 入り口の所に張り紙があり
「この土地・建物は ~不動産の管理物件です」
という意味の 弁護士署名の公示であり、書面の年月日は3年前の期日になっていた。
私が その店と思しき場所で「とろろ蕎麦」と「山菜蕎麦」に舌鼓を打ったのは ほんの半年前なのである。
じゃ、あの時 私は どこで、誰の蕎麦を食べたんだ?
気づけば 晴れ渡っていたはずの空が いつのまにか雲が厚くなりはじめている。
私は 怖くなって とっとと、その場を逃げるように走り去った。
ウチの嫁に この話をしたところ
「作り話も いい加減にしてくれる?」
と言って 取りあってくれなかった。
しかし、これは実話である。
もしかしたら、私は なにか大きな勘違いをしていたのかもしれないし、ナビの位置情報が狂っていたのかもしれないし、本当は どこかのパ-キングエリアで寝ていた時に夢を見ていたのかもしれない…
信じて貰えなくても構わないが、これは 私にとって実話である。
おかげで それ以来、温かい「とろろ蕎麦」は 絶対に注文出来ない人になってしまったのだから…