2005年05月05日

●「世界の中心で愛をさけぶ」墓参2


「雪が溶けたら みんなで亡き友の墓参りに行こう…」




高校の時に 中学からの同級生で白血病で亡くなった友の事を TV版「世界の中心で愛をさけぶ」で 記憶が蘇り、亡き友と関わりのあった友人達が 誰から言い出した訳でもなく 自然とそういう約束をしたのは 今年の3月の事である


「世界の中心で愛をさけぶ」墓参り』参照


先日、数人で集まって


「墓参りに いつ行く?」


と話合い、皆の都合の良い日を調整したら 5月5日に決まったのだ。


参加したのは 私と ウチの嫁、それに「アキバ系研究員を束ねた某国立大学理工学部教授」、「腕力しか取り柄のない歯科医」、「易者の様な診断しか下さない2代目開業医」、「もの凄く気の弱い弁護士」、「一級建築士の資格を持った詐欺師」


相変わらずオバカな面々が 久しぶりに一同に会したわけだが、ほぼ1ヶ月ぶりに会った「一級建築士の資格を持った詐欺師」は 僅か1ヶ月の間に体重が激減したのを判るほど痩せていた。


「世界の中心で愛をさけぶ」弁護士』参照


聞く所によると「もの凄く気の弱い弁護士」と和解し 彼が代理人となって離婚の手続きを完了させたそうである。


「不思議な話なんだけど 離婚して初めて 二人の娘が笑顔で気さくに”パパ”って呼んでくれるようになったんだよねぇ…」


テレ臭そうに「一級建築士の資格を持った詐欺師」は笑った。


痩せこけた 一見、窶れたような表情の中に 憑き物が落ちた様な雰囲気が漂い、結果的に「一級建築士の資格を持った詐欺師」の今後にとっては 良い方向に繋がるんじゃないか?と予感ができる笑顔だった。


亡き友の墓は 札幌の街並みを見下ろせる小高い場所にある。


考えてみれば ちゃんと墓参りするのは亡き友の最後の法要となった20数年前の 7回忌の法要以来だ… そう思った時に ふと、気がついた 


「世界の中心で愛をさけぶ」の映画版やTV版は 亜紀が死んだ時と その17年後の話である。


仏教では 死後、3回忌、7回忌、13回忌…と 区切りの法要を大事にするが、17回忌と言うのも その区切りの一つである事に気がついた。


「だから、17年だったのかな?…」 


今度、我が家の月命日の日に 仏壇にお経をあげに坊主が来たら その辺の事を聞いてみよう… さもなくば、某国立大学の某理工学部のアキバ系研究員達に調べさせてみよう…


さらに、そう思った。


今日の札幌は 小春日和のうららかな1日だった。


まるで、墓参りに集う我々を 亡き友が 優しく、温かく出迎えてくれる… そんな陽気だった。


墓石を洗い、周りの雑草や 冬の間に散らかったゴミを取り、みんなで持ち寄った花や供物を供え 手を合わせて拝む。


そして、同じ墓に眠る 昨年の晩秋に亡くなった 亡き友の親父さんにも あらためて手を合わせる。


歳を重ねて 子を持つ身になった今だからこそ 病に倒れた我が子の事を想って必死に 我が子の友人達だった私達に 協力を求めた親父さんの気持ちが痛いほど理解出来る。


目を閉じて 墓に向かって手を合わせていると その頃の事をハッキリと思い出す。


体育祭や文化祭の日、授業参観の日、私や「腕力しか取り柄のない歯科医」が所属していた野球部の 春、夏、秋の支部予選、「アキバ系研究員を束ねた某国立大学理工学部教授」と「易者の様な診断しか下さない2代目開業医」が所属していたサッカ-部の公式戦等には 必ず、親父さんか 親父さんの印刷会社の社員の誰かが8mm映写機で撮影に来て その後、亡き友の病室の壁にシ-ツで作ったスクリ-ンに向かって上映会をしていた。


そのおかげで 今、我々の手許には 8mmの映像をビデオに、そしてDVDに再録画した 高校生の時の映像がある。


当時は 今の様なハンディビデオなんか無い時代で 8mm映写機で撮影するのは 非常にコストがかかり、手間も多かったのだが、病床の娘を飽きさせず、楽しませる為… ただ、その一心で 親父さんが心配っていたのだ。


高校を卒業する時 我々は当時の担任教師に 学業半ばで世を去った友のために卒業証書を 一枚余分に 亡き友の名で作ってくれるように頼んだが、その担任から


「卒業に必要な出席日数が足りていないから駄目だ」


と、ニベもなく断られた。


組合活動に熱心で さんざん授業を自習にして赤旗を振ってたクソ教師だったが、少しぐらいは情のある奴かと期待した 我々が馬鹿だった。


だから、校長に直談判しようと勢い込んで校長室に行き 事情を話をしたら、校長は


「良し、判った」


と、ニコッと笑って簡単にあっさり認めてくれて 直ぐに担任教師を呼んで 話の内容は判らないけど、おそらく説教したのだと思う。


その時以来、担任教師と私達は今に至るまで会話をした事が無い。

(担任だ… 恩師だ… なんて間違っても認めないし感謝もしない)


校長に”告げ口”された…と 筋違いな恨みを抱く 実に矮小な奴だったのだ。


理由も無く欠席したのでは無い。


むしろ、来たくても来れなかったのだ。


規則的にいかなる事由があろうとも 解釈するのは人間である。


形式的な紙切れ一枚書く事すら 理解せず、出来ずに心無くして振る赤旗を 以降、私は憎み通している。


友人達でお金を出し合って買った額に 校長が作ってくれた卒業証書の裏に寄せ書きを書いて入れて 亡き友の仏前に供えに行った時、亡き友の親父さんは 畳に両手と額をつけてボロボロに泣きながら 何度も「ありがとう」と言ってくれた。


そして、「いつまでも その優しい心を持ち続けるんだぞ」と言った。


亡き友のオフクロさんは 我々を見ると亡き友を思いだし、気が病むから…と言って会ってくれよう、話をしよう…という機会は一度も無い。


しかし、親父さんだけは 「元気か?」「相談事があるなら いつでも来い」と書き添えた暑中見舞いや年賀状を 最低でも年2回送ってくれ続けていた。


そんな事を思い出しながら 実際には決して長い時間では無かったのにも関わらず、長い時間手を合わせた気分となり 顔を上げたら涙が出た。


見ると、一緒に行ったみんなが泣いていた。


思えば、この一年間(厳密には半年間) 不思議な事にTV版「世界の中心で愛をさけぶ」に絡んで いろんな事が思い出され続けている。


「白血病」「同級生」「親父さん」…


いろんなキ-ワ-ドがTV版「世界の中心で愛をさけぶ」と重なり合う。


これは 私に限らず、その場に集った ウチの嫁、それに「アキバ系研究員を束ねた某国立大学理工学部教授」、「腕力しか取り柄のない歯科医」、「易者の様な診断しか下さない2代目開業医」、「もの凄く気の弱い弁護士」、「一級建築士の資格を持った詐欺師」全員に言える事。


皆、いろんな記憶を掻き混ぜられて 涙を流してしまうのだろう。


だから、私は前から気になっている事を 皆に聞いてみた。


私「なんかさ、”世界の中心で愛をさけぶ”から始まって この時期に集中していろんな事があるのって ”亡き友”が なんか俺達に伝えたいメッセ-ジがあって それを伝えようとしているんじゃないか?って思う気がする時があるんだけど どう?」


すると、皆  口々に「俺も そんな気がしてたんだ…」と言う。


唯一、「一級建築士の資格を持った詐欺師」だけは


「俺は”世界の中心で愛をさけぶ”を見て ようやく離婚出来た。 きっと、その事を ちゃんとしろ…って”亡き友”のメッセ-ジだったんだと思う」


と言った。


なんか違う様な、認めたくない気持ちも少々芽生えたが、まぁ 本人がそう言うんだから そうなんだろうと思う。


しかし、「一級建築士の資格を持った詐欺師」以外は コレと言って思い当たる事は無いながらも 「亡き友のメッセ-ジ」という部分には直感的に感じていると言う。


もし、それがホントなら 近いうちに そのメッセ-ジが何かを判る時がくるのであろう。


そう思うと それが何か楽しみになった。




記述者:ブタネコ | 掲載日時:2005年05月05日 19:49 このエントリをlivedoorクリップに追加 このエントリーのlivedoorクリップ被リンク数 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーのはてなブックマーク被リンク数
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コメント

今晩は、ブタネコさんご無沙汰しています。

ブタネコさんとお友達のエピソードは「世界の中心で愛をさけぶ アナザーストーリー」のようでいつも楽しみにしています。なんとなくもう一つの物語をリアルタイムで見ているようです。

本当は、失礼になるかとも思いますがお許しください。

亜紀が谷田部先生に聞く『私、何のために死ぬんでしょうか…。』
谷田部『それは…残された人、一人一人が決めることなんじゃないかな。』

月並みですが、「亡くなった人は残された人の中に生きいく。」のですね。

このような時だけあの世があると良いのにと思います。あの世があれば20数年後、久しぶりに親子で話し合っている二人の姿が見えるはずですから。

コメント by 光太郎 | コメント受信日時 : 2005年05月06日 01:34

世間では「奇跡のドラマ」と呼ばれるドラマが
腐るほど存在し、単に視聴率が良かったという理由だけでこの枕詞を使われるドラマもたくさんあります。

「感動」とか「奇跡」という言葉はこの

TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」

に使われる言葉であって、他の凡百のドラマに使って良い言葉ではありません。

「感動」や「奇跡」という言葉を使われているドラマの中で、いったいどれだけのドラマが、友人達を一同に会し、亡き友の墓参りに行かせる事が出来るのでしょう。

TV版「セカチュー」ではスケちゃん、智世、ボウズの17年後は、恐らくその俳優探しの困難さから、高校生当時の彼らの俳優の声と姿だけで顔出しの演技というのは無かったですが、サクが骨をまけた後、ブタネコさん達と同じ様に絶対に幼馴染4人集まって、亜紀の事を想ったと思いますよ。

コメント by うごるあ | コメント受信日時 : 2005年05月06日 03:06

>光太郎 さん
>うごるあ さん

お二方へのレスを…と文章をしたためていたら長くなってしまったのと
収拾がつかなくなってしまったので

●「世界の中心で愛をさけぶ」墓参3

として 新しい記事にしちゃいました^^;

どうか お許し願います。 スイマセン。^^;

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年05月06日 15:41
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