『幻影城』と聞いて ある雑誌を思い出せる人がいるとすれば、その人は 往年の推理小説ファンのと言って良い。
上記画像は 1978年発行49号と1979年発行50号の表紙と裏表紙である。
この雑誌は 推理小説専門の雑誌で 新人作家の登竜門であり、この雑誌に載せられる評論は 当時としてはもの凄くレベルの高いものばかりであった。
記憶に間違いが無ければ 惜しくも53号で廃刊になってしまったのだ。
中でも 上記の様な 固有の作家の特集を組んだ増刊号は その作家のファンならば垂涎物の一品であり、特に 上記画像の「横溝正史」版は 以前、オ-クションで ビックリする値段が付いて騒がれたものである。(ブタネコ所有物です)
この『幻影城』に推理小説の評論を掲載していた 中島河太郎をはじめとする方々は、洋の東西を問わず、実に多くの作品を読破しており、その上で「推理小説」というものを愛する人々であったから この雑誌で高い評価を受けた作品は 本当に面白い物ばかりだった。
どの号だったかは忘れたが、そんな評論の中で 中島河太郎の 特に記憶に残る言葉は
「その推理小説に出てくる犯人の 殺人の動機が ともすれば同情を持って理解出来る作品であれば 尚の事、感情移入した上で面白い秀逸な作品となる…」
という一文である。
他にも 名言は多いが、そんな中でも 上記の言葉が一番記憶に残っている。
私が大好きだった横溝正史の金田一耕助シリ-ズは とかく「おどろおどろしい連続殺人物」である。
しかし、そこに登場する犯人の 事件の動機は、「つい偶然…」なんてものは無く、
「この野郎だけは どうしても生かしておけないんだ…」
という部分に説得力があった。
だから、事件が終わり 大団円で解決を迎えた後は なんか切ない気持ちにもなった。
最近、私が すっかり推理小説から離れてしまった原因は「時刻表シリ-ズ」だとか「御当地シリ-ズ」とか「京都~殺人事件」と銘打つわりに 別に場所が そこじゃなくともいいじゃん…みたいな 動機の安易な物が多すぎるからである。
「社会派推理小説」なんてジャンルを築いた松本清張も 晩年は あまり、熱のこもった作品にお目にかかる事は出来なかったが、「点と線」「ゼロの焦点」 そして「砂の器」は面白かった。
高木彬光の「白昼の死角」も 幻影城で高い評価を受けただけの事はある面白い作品だったし、特に 坂口安吾の「不連続殺人事件」は おそらく、横溝正史と匹敵する程の高い評価を「幻影城」から受けた作品だが、それだけの事はある面白い作品である。
今後、また いつの日か「推理小説ブ-ム」が来ることを密かに期待しているが、それには「幻影城」のような雑誌の存在も欠かせないと思うばかりである。
初めまして。横溝正史ファンとして、実に興味深く拝読しました。
『幻影城』の画像も嬉しかったです。特に増刊号の表紙!感激です!
なんていい笑顔をしていらっしゃるのでしょう!エッセイを読んで伝わってくる温和なお人柄そのままのあたたかい素敵な笑顔ですね。貴重な画像をありがとうございました。
それにしても“中島河太郎”という名前を拝見できてどんなに嬉しく思ったことか。
>どの号だったかは忘れたが、そんな評論の中で 中島河太郎の 特に記憶に残る言葉は「その推理小説に出てくる犯人の 殺人の動機が ともすれば同情を持って理解出来る作品であれば 尚の事、感情移入した上で面白い秀逸な作品となる…」
という一文である。
ああ、このようなことをおっしゃっておいでだったのですね。ご紹介いただき、ありがとうございます。やっぱり中島河太郎だなあと思いました。
私は彼の書いたものをじっくり読んだことはなく、もっぱら作品解説でしかその文章に接したことがないのですが、推理小説とはどういうものであるかということを私に教えてくれたのは中島河太郎でした。
ちょっと話が横道にそれますが、三重県名張市の市立図書館に“江戸川乱歩コーナー”というのがあって(ご存じのとおり、名張は乱歩の生誕地です)、そこへ中島河太郎が足を運んだことがありました。
そのときのことが名張限定の小さなタウン誌で取り上げられ、たまたま目にする機会があったのですが、そこに映っていた中島河太郎という人はとても穏やかで優しそうな感じの紳士でした(私はこのときの写真で初めてお顔を拝見したのです)。
お年を召しておられたということもあったかもしれませんが、想像どおりの人だったと嬉しかったのを覚えています。
>私が大好きだった横溝正史の金田一耕助シリ-ズは とかく「おどろおどろしい連続殺人物」である。しかし、そこに登場する犯人の 事件の動機は、「つい偶然…」なんてものは無く、「この野郎だけは どうしても生かしておけないんだ…」という部分に説得力があった。
おっしゃるとおりです。やむにやまれぬ殺人であったということが金田一の口から語られるとき、凄惨な場面にもそうなるべく理由がちゃんとあったのだとわかるとき、驚きとともに一抹の寂寥感も覚えます。
>だから、事件が終わり 大団円で解決を迎えた後は なんか切ない気持ちにもなった。 わかります。同感です。読後に感じる切なさ、これは読んだ者でなければわかり得ない横溝ワールド特有の愛すべき“切なさ”ですよね。
>最近、私が すっかり推理小説から離れてしまった原因は「時刻表シリ-ズ」だとか「御当地シリ-ズ」とか「京都~殺人事件」と銘打つわりに 別に場所が そこじゃなくともいいじゃん…みたいな 動機の安易な物が多すぎるからである。
これもわかるなあ。私もここ最近、推理小説からは遠ざかっています。「別に場所が そこじゃなくともいいじゃん…みたいな」には、ほんまほんまと思わず笑ってしまいました。
>今後、また いつの日か「推理小説ブ-ム」が来ることを密かに期待しているが、それには「幻影城」のような雑誌の存在も欠かせないと思うばかりである。
本当ですね。良質のミステリ雑誌に期待したいですね。
それにしてもパソコンや携帯電話といった小道具のなかった時代の推理小説のほうが面白く感じるのはどうしてなんでしょう。古き良き時代を懐かしむといったことだけではないような気がするのですが。
以下、拝読した【『横溝正史』カテゴリー】について。
●「横溝正史」と「編物」
楽しかったです~(^^)レースの手編みのブラなんていいなあ。編み物ができる男の人って素敵ですよ!横溝正史と編み物のことも思い出しました。そうでしたね、彼も編み物ができたんですよね、すっかり忘れていました。そうそう、『女王蜂』は編み物が一つのキーポイントになっていましたね。
●鷲羽山(岡山県)
私は連絡橋の車窓から見たことがあるだけですが、そのとき一緒にいた妹が「鷲羽山や。ぬえの鳴く夜はおそろしい~や」と言ってにやにやしているので、
「あんた、読んどったん、『悪霊島』?」
「昔。もうどんなんやったかは忘れたけど、鷲羽山やったやろ。見るたびに思い出すんが金田一いうのもなんだかな~思うねんけど」
ははは。まあいいじゃないの。知る人ゾ知る、なんだから、と思ったしだいです。
●奥の細道
・「五月雨を[あつめなくても]最上川 」いいじゃないですか、これ!気に入りました(笑)
立石寺には行ったことはないのですが、そこで聞く蝉の声は雰囲気があっていいでしょうね。
>「岩にしみ入る」では無く、岩が割れるんじゃないの?
うまいことおっしゃる。盛大に聞こえた様がよくわかります。当地は大阪ですがこの時期毎朝目覚まし代わりになっております。
●備中高梁(岡山県)
楽しい旅でしたね。「寅さん」のところは思わず笑ってしまいました。運転手さんもなかなか愉快な人でしたね。撮影地を案内していただけたとはうらやましい。ご縁があったのですね。
●一芸は身を助けるかもしれない
ブタネコさんは楽器も弾けるのですね!私も学生時代、ほんのすこーしクラシックギターをやったことがありますが今はまったくダメです。
横溝正史が「悪魔が来りて」のトリックを思いつくきっかけになったというドプラーの『ハンガリア田園幻想曲』というのは聴いたことがないので一度聴いてみたいなあと思っています。
以上、長々と失礼いたしました。
>HAZUKI さん
コメントを寄せて下さってありがとうございます。
「葉月亭」さんの記事を読んだ時、本当に嬉しくて
泣きそうになりました^^
なので、「横溝正史」というタイトルで記事をひとつ更新しました^^;
昨夜、あらためて「本陣殺人事件」を読みましたが やはり、
良いです。
今夜は「悪魔の手毬歌」を読もうと思ってます。