私は 今まで仕事の関係で 日本国内の殆どの地を巡りました。
「百聞は一見にしかず」
と言いますが、まさに その通り。
地理の教科書で学んだり、TVの観光モノなどで見るのと、実際に現地に立って見回すのとでは そこから得られる感慨は全然違います。
このBlog内で「義務教育で教えて欲しいこと」と題した掲示の中で 日本の近代史、特に第二次大戦の戦中・戦後史の教育について触れた ひとつの理由は沖縄に行った時に知った事…というのがあります。
私の義弟も 仕事の関係で始終、国内のいろんな所に転勤したり、出張しておりますが その義弟が仕事でしばらくの期間、沖縄に滞在した時に触れた事を あるHPに書いた掲示を 少々、修正して御紹介してみたいと思います。
<< 以下 文章 >>
(冒頭部分 略)
我が国の歴史認識 特に近代の認識が非常におろそかで曖昧な上にたっている事に あらためて気づかされたものでもあります。
この事に気づかされたのは 10数年前に とある任務で沖縄にてしばらくの期間 過ごした時のことです。
北国育ちの私としては 沖縄の風物が見るもの聞くもの すべてが珍しく、暇が出来れば県内を散策してまわったのですが… 豊見城にある海軍司令部跡を訪れ その塹壕内を見学した時のことです。
そこで貰ったパンフレットを読んでいるうちに こらえきれず涙を流したものでした。
そのパンフレットには 沖縄戦時に総司令官であった牛島陸軍少将の陰にあって 海軍の守備隊司令官であった 太田実海軍少将が 自決する直前に大本営の海軍次官に宛てて発した 遺言の様な内容の電文が書かれてあったのです。
守備隊が玉砕する寸前の混乱の中で こんな電文を発した軍人がいたのか? 私は軍人もどきの1人として感動すると同時に 深く尊敬の念を抱きました。
その後、沖縄サミットだ 米軍基地返還問題だ… と沖縄を取り巻く話題が増え、また同時に観光地としての人気地にもなり 多くの旅行者が訪れる場所になりましたが… きちんとした歴史教育・認識のない若者の姿が 私には目に余って仕方のない場面も多く増えました。
そんな中にあって、それらに対する警鐘という意味でも この電文は もっと公に語られて良いと思うのですが 残念ながら、目にする、耳にする機会もなく 沖縄問題として戦後の歴史が語られているのを見ると 戦後の復興、高度成長の中でおざなりにされてしまった歴史検証と認識が 『バンド・オブ・ブラザ-ス』のような作品によって視点や観点が変わった人々が増えてい
けば今更ながら改まるんじゃないか? そうしてこそ、戦没者や犠牲になった住民の祈念になるんじゃないか?と愚考する次第でもあります。
以下に 参考までに 大事にしまってあるパンフレットに記載された電文を御紹介しますので 御一読いただけますと幸いです。
---<< 電文 >>-------
以下の電を、次官にご通報方、取り計らいを得たし。沖縄県民の実状に関しては、県知事より報告せらるべきも、県にはすでに通信力無く、32軍司令部(陸軍)もまた通信の余力無しと認められるにつき、本職 県知事よりの依頼を受けたるにあらざれど、現状を看過するに偲びず、これに代わって緊急御通知申し上ぐ。
沖縄県に敵攻略を開始以来、陸海方面とも防衛戦闘に専念し、県民に関しては ほとんど顧みるに暇なかりき。 しかれども、本職の知れる範囲においては、県民は青壮年の全部を防衛招集に捧げ、残る老若婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、わずかに身をもって、軍の作戦に差し支え無き場所の小防空壕に避難、なお砲爆下をさまよいありたり。
しかも若き婦は率先軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、挺身切り込み隊すら申し出るものあり。 しょせん敵来たりなば老人子供は殺さるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供さるべしとて、親子生別し、娘を軍の衛門に捨つる親あり。
看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵すでに出発し、身寄り無き重傷者を助けて共にさまよう、真面目にして一時の感情に走らせたるものとは思われず。
さらに、軍において作戦の大転換あるや、自給自足、夜のうちに、はるかに遠隔の地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中移動するあり。
これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられて、ご奉公の一念を抱きつつ ついに
・・・・・(一部不明)・・・・・
報われることなく、本戦闘の末期を迎え、実状形容すべくもなし。
一木一草焦土と化せんとす。 食料は六月いっぱいを支えうるのみなりという。
沖縄県民かく戦えり。 県民に対し、後世 特別のご高配を賜わらんことを。
さて、ちょっと考えてみて下さい。
戦後、沖縄はアメリカの統治下におかれ 領土返還されるまでの間、日本とは微妙に切り離された状態におかれました。
その間、沖縄県民は 日本人でありながら 日本人としての扱いとは別な次元を過ごしたわけです。
今では 日本国沖縄県として 他の都道府県と なんら変わるものではありませんが、アメリカの統治下におかれていた間からの諸問題は沢山残っています。
>県民に対し、後世 特別のご高配を賜わらんことを
「沖縄って 温かくて 住んでいる人ものどかで いいところだよねぇ~」
そう言って 呑気に観光を楽しむのもいいけれど、諸問題には無関心(というか無知)な観光客。
変でしょ こんなの?
【関連・参考】
【Band of Brothers 絆で結ばれた兄弟たち】
http://www.h3.dion.ne.jp/~brothers/