元テキ屋のHさんは 大のバクチ好きな人で、わざわざ競輪や競艇をやるために 国内の競輪場や競艇場へ旅する事の多い人でもあった。
「バクチで儲けた金は貯め込んじゃイケナイ。 少しでもいいから 周囲のみんなと分かち合って楽しまないと 次の時に勝負の神様に見放されるんだ」
そう言って、バクチに勝った時は 我々バイト学生達に 寿司や焼肉を 御馳走してくれたものだったが、そういう気前の良さは なにもバクチに勝った時だけに限らず、何かと奢ってくれたもので そんな時には
「もし、将来 俺(Hさん)が くすぶった時には、ほんのちょっとでいいから 何か恵んでくれよな」
と言うのも Hさんの口癖だった。
だいぶ後になって知った事だが、実は Hさんは私設投票券売場(通称:ノミ屋)を営んでいた。
と言うのは 北海道には競艇場とオ-ト・レ-ス場が無い
競輪場は 函館に一ヶ所だけあるが、道内ではメジャ-では無い。
場産地という事もあって、いわゆる公営ギャンブルは競馬が殆どである。
Hさんの様に 競輪や競艇が好きな人が 北海道で それに興じるのは 非常に難しかったのだ。
ところが、北海道という土地柄は 関東周辺に進学や仕事、出稼ぎ等で 一度は暮らした経験のある者が多く、当然、競輪や競艇やオ-トといったギャンブルの味を覚えた者も多い。
だから、Hさんのノミ屋は 密かに繁盛していたのである。
その事に関して Hさんは我々バイト学生や 喫茶「職安」の他の常連客達には 一言も語った事が無かった。
おそらく、万が一 摘発された際に、余計な迷惑をかけないための Hさんなりの配慮だったのだと思う。
テキ屋の本業からは引退し、片腕だった若い衆に采配を任せていたHさんは 我々バイト学生達が高校を卒業し、大学生となった頃から 日本国内のギャンブル場や 大規模な縁日のある お祭りを巡る旅をして歩くようになっていた。
それでも、その頃は年に数回、私が就職してサラリ-マン生活を東京で過ごしていた頃や 独立して 国内を巡っている頃も 何度か お互い旅先でおちあったものである。
ところが、ある日を境に ぷっつりとHさんの音信が途絶えたのは 私が30歳を迎える直前の頃だった。
話によると、片腕だった若い衆とHさんの奥さんが ノミ屋の金を持ち出して失踪し、その直後、ノミ屋が摘発されたのだ。
旅先で その事を知ったHさんは慌てて札幌に戻り、摘発から あわてて逃げて そのまま音信が途絶えたのである。
あっと言う間の出来事だった。
以前に述べた事だが、私は 夜逃げ専門みたいな運送屋のバイトをしていた事がある。
だから、夜逃げする人、家族を見るのは それが初めての事では無い。
しかし、それらの人は 元々、私とは縁もゆかりも無い人ばかりだったから、感じ方も違っていたわけで、知人が失踪する事に遭遇したのは その時が初めてだったから ある意味、ショックだったが、それまでに いろんな常連客達から受けた薫陶で 私自身の物事の見方、受け止め方も変わっていて なんか、それがHさんらしい生き様にも思えたものだった。
それから 6年の歳月が流れ、すっかり、Hさんの事など忘れていた ある日の事、喫茶「職安」のママの妹から 私に電話が来た。
「Hさんから連絡があって 東京の警察病院にいるらしいんだけど 面会に行ってくれないかな?」
と言う。
Hさんは 逃亡の後、東京の山谷にあるドヤ街に流れ着き、そこで しばらく暮らしている時に発病し、持ち合わせの金にも行き詰まり、観念して警察に出頭したのだそうだ。
検査の結果、Hさんは肝臓癌の末期 余命も僅かだった事もあり、そのまま警察病院に収容されたのだが、Hさんの身寄りと言えば 行方不明の奥さんだけで、子供も親戚もいない。
そんなHさんが連絡先として告げたのが 喫茶「職安」だったのだ。
警察から連絡を受けた 喫茶「職安」の人々は 当時、私が 東京で仕事をしていた事を知っていたから ひとまず、私に様子を見て来い…という事だったのだ。
連絡を受けた翌日、私は Hさんの病室を訪ねた。
数年ぶりのHさんの風貌は 年齢や病気のせいだけとは思えないほど大きく変わっていた。
しかし、クシャクシャな顔をして笑った表情はHさんだった。
「いやぁ… お恥ずかしい。 それにしてもブタネコ君 立派な姿になったじゃないか…」
べらんめぇ口調では無く、綺麗な標準語で喋るHさんの姿に 溌剌としていたHさんの姿しか知らない私には ショックであると同時に、それだけ逃亡後のHさんの苦労も推察できたし、なによりも 年月の長さを感じたものだ。
「あのなぁ… ブタネコ君。 俺は 最後の こんな様を 本当は君達や、喫茶「職安」の人達には見せたくなかったんだ。 でもなぁ、ブタネコ君にだけは 会って御願いしたい事があったから 君が来てくれたのは 本当に嬉しい。」
そう言って Hさんは寂しそうに笑った。
そして、重ねて Hさんが言ったのは
「君達(バイト少年達)と 喫茶「職安」でコ-ヒ-を飲んでいた時代が 私には 最も、のんびりと そして裕福に楽しく暮らせた時代だった…。
あの頃、ちゃんと貯金をして ささやかな暮らしで留めておけば 今の こんな姿は無かったかもしれない… けどね、私は 全く後悔していない。
ここ数年の ドヤ暮らしも それはそれで面白かったしね。
で、今回 こんなザマになって ひとつだけ心残りが出来たんだ…、と言うのは、私が裕福だった頃、自慢じゃ無いが いろんな人に 散々に奢ったり、物をプレゼントしたりした時に、
”もし、将来、俺が困った時は ちょっとでいいから助けてくれよ”
って言ったもんだが、誰一人 俺を助けてくれた人はいなかった。
あ、喫茶「職安」の人は別だよ。
だって、私は 喫茶「職安」の人達には カッコいいままでいたかったから、助けてくれなんて言いたくなかったからね。
それに、言わなくたって助けてくれる人ばかりだって知ってるしね… 現に、君が わざわざ 忙しい中を そこに来てくれているのが その証拠だもんな…。
君とも 今日を最後にお別れしよう。
喫茶「職安」の人達にも どうか、よろしく伝えてくれれば それでいい。
間違っても 訪ねて来る事が無いように言ってくれ。
で、最後に君と会いたかったのは 君にだけ ひとつ頼みがあるんだ。
それはね…」
その頼み事の内容は 約束なので言えない。
ただ、私は それを承諾しただけの事である。
そして、別れ際
「俺も とうとう くすぶったぜ…」
そう言って、Hさんは 満足そうに笑った。
その最後の台詞だけは 溌剌としていた時のHさんの 喋り方だった。
そして、それがHさんと会う最後の機会になった。
Hさんは 死を前に 自分が死んだら、自分の亡骸を某医大の解剖実習に献体する事を望んだ。
そうする事によって 他人に迷惑をかけずに自らの埋葬を 医大が責任を持って処理してくれる約束になっていたからだ。
そんな手際の良さも 亡くなったと知らせを受けて、葬儀を…と思って駆けつけて初めて知った事だった。
そんなHさんの「生き様」を他人がどう思うかは判らない。
けど、私は もの凄く感銘を受けた「生き様」のひとつとなった。