『ブタネコ的 ラストシ-ンの考察』という記事に 常連コメンティタ-である「うごるあ」さんから寄せられたコメントについてのレスを あえて記事として扱わせて頂きたい。
この記事を読む際に 事情を呑み込めない方が生じる可能性があるので もし、そう感じられた方は 大変、御手数とは思うが
という二つの記事のエントリ-部だけではなく、コメントも全て御覧になっていただけると 私と「うごるあ」さんとの間で これまでに交わされたやりとりが 理解出来ると思います。
で、今回の「うごるあ」さんのコメントを引用します。
このまま永久に考えがまとまらない気がするんですが
その前にブタネコさんの考察に対して質問があります。>当事者達が理解して容認している以上、そこに簀巻きの理由は無い。
この部分だけを読むと、サクは亜紀のことを想いながら明季と歩んでいき、明季もそのことを承知でサクと歩んでいく、という風に取れます(取る事もできます)。
でも
>だから、この先 サクが小林明希と第二の人生を過ごす事も 亜紀は既に容認しているし、明希も亜紀の存在を理解している…と思える。
この部分の「サクが小林明希と第二の人生を過ごす」だけなら明季を女性としてでも生涯の伴侶として(サク祖父にとってのサク祖母の関係)でも取れるんですが「亜紀は既に容認している」とあるので明季を女性としてサクはこれからを過ごして行く、と取れ、「明希も亜紀の存在を理解している」は、明季は亜紀を好きだったサクもひっくるめてサクを男性として愛していく、という事になるのかなと思います。
結局、ブタネコさんの解釈ではサクは明季を女性として一緒になろうとしたんでしょうか。それともあくまで好きな人は亜紀一人なんでしょうか。
というのは、ブタネコさんの考察を受け、また、引用していただいた私の考察も改めて考えると
確かに物語の最初と最後がサクの夢だった、という風にすると構図的にスッキリするんですよね。
ただ、その場合にしても、もし明季を女性として迎えた場合、亜紀と手を繋いでいく夢を見るのはブタネコさんの簀巻きの刑に遭うことになります。
サクが簀巻きの刑に遭わないためには、明季との関係を、まるで4,50年連れ添った夫婦が感じると言う、男女の仲というのを超えた生涯の伴侶、つまりサクが見ていた祖父と祖母の関係のような関係にしなくてはなりません。さて、如何でしょうか。
サクの祖父と祖母 そして、写真の女性という関係と サク、亜紀、明希の関係を並べて考えようとする場合、情報不足ではありますが 大きく異なると思われる点が一ヶ所あります。
それは
「サクの祖母は 写真の女性の存在を知っていたのか?」
という点で 私は それを「知っていなかった」と憶測しています。
「憶測」とするのは その点について情報が無いからです。
「壁に写真を貼ってあったぐらいなんだから 祖母も知っていたのでは?」
という意見もあり得るし、
「いや、写真が貼られたのは 祖母が死んでから…」
もしくは、
「貼ってあるのは知っていたとしても その理由までは知らなかったんじゃないか?」
等、この点も 論議の可能性はありますが、私は 今までの考察を行うにあたって
「サクの祖母は 写真の女性の存在を知らなかった」
と、勝手に決めつけて考察してきた…と言う事を ここで、申し上げておきたいと思いますし、今後も 何かの新発見が無い限り、この考えで考察を進めていきたいと思います。
(そうじゃないと 話がグチャグチャになっちゃいますんで^^;)
ですから、もし 私がサク祖母の父だったならば サク祖父は簀巻きだ… と申し上げました。
「娘に隠れて 他の女を想ってやがった」
それが 簀巻きとなる理由です。^^
さて、
『サクが小林明希と第二の人生を過ごす事も 亜紀は既に容認している』
私が そう感じた(考えた)理由は
第8話

このシ-ンで
「お母さん、私ね
サクに もう来ないでって言ったんだ。
サクのためを思ったら そうするべきだよね?
サクはこれからどんどんいろんな世界に行って
ちゃんと出会いもあって…
その時、私の方がいいよって言えるもの
私、何ひとつ無いと思うんだよ
髪の毛なくて、ひとりで髪も洗えなくて
お金ばかりかかって…
性格もひがみっぽくて…
きっと、子供とかも産めないっぽいよね
そんな女、選ぶ理由 何も無いよね?」
と、語っています。
これは 後にサクから
「テ-プ一本で別れようとする ふざけた廣瀬亜紀」
として否定されますが、この中の
『 サクのためを思ったら そうするべきだよね?
サクはこれからどんどんいろんな世界に行って
ちゃんと出会いもあって… 』
という部分に注目します。
そして、「ソラノウタ」「生きていくあなたへ」「がんばれ」という流れに
「サクのためを思う」
という亜紀の意思と、
---- < 以下、引用 > ----
【引用元】
『綾瀬はるかなる日々』の
『世界の中心で、愛をさけぶ・第2話』
最終話で 朔と明希との事を確認して 自分の役割は終わったのだと言わんばかりに

自ら割れて “ソラ”へと消えていった亜紀・・・
---- < 以上、引用終わり > ----
という考えから 亜紀は生き続けるサクの幸せを願い、サクの幸せに繋がる事は容認するだろう…と考え、帰結しました。
それに対して、
「明希も亜紀の存在を理解している」
という部分については
「明季は亜紀を好きだったサクもひっくるめてサクを男性として愛していく、という事になるのかなと思います。」
という うごるあさんの記述で 説明の必要は不要と思います。^^
ゆえに、もし私が 小林明季の父だったとしたら、娘が事実を知った上で認めている事ですから サクを簀巻きにするわけにはいきません。
(蛇足ですが、カズキ(明季の息子)の父親に関しては 充分に簀巻きにする対象として条件を満たしていると思いますが…^^;)
結局、ブタネコさんの解釈ではサクは明季を女性として一緒になろうとしたんでしょうか。それともあくまで好きな人は亜紀一人なんでしょうか。
この問いかけは 非情に難しい問題です。^^;
もし、「天国」がある…という前提だとしたら、
「生きている間は明季を愛し、死んだ後は亜紀を愛す…」
先述した理由により サク、亜紀、明希の3者間で暗黙の合意が成立している様に思えるから そういう解釈で、いいんじゃないかと思います。
ただし、亜紀は「あの世なんて無い」と言ってます。
「残された人達が作った世界の様な気がする。
存在して欲しいと願う世界っていうか…」
とも言っています。
それが 廣瀬亜紀の台詞である以上、私は その考えを断固、支持します。^^
ですから、「あの世なんて無い」という見地に則ると ラストシ-ンの解釈を
「人生を走り終わった(死んだ)サクが 亜紀と笑って(天国で)再会した」
とする一般論を「アリ」と認めつつも 全面的に支持するわけにはいかない…という気持ちになったのだとも思います。
けれども、空港で断末魔の亜紀が

「サクちゃん やっぱり、あの世なんて無い
天国なんて無い。ここ…、ここ 天国だもん」
と言う。
私は
「世界の中心」=「愛する人の腕の中」=「心の中」
と、解釈しており、(この事については そう言えば、今まで語ってませんね^^; 今度、あらためて語ります… 機会があれば^^;)
それを裏付けるように 亜紀が「ここ天国だもん」という「ここ」とは サクの腕の中、つまり「心の中」だと思っています。
つまり、最後の最後で亜紀は サクの「心の中」に「天国」見た…と。
ゆえに、ラストシ-ンの解釈を「死んだ後、再会」ではなく、「サクの心の中にいる 亜紀と再会」と考えたく、それは つまり、サクが亜紀の死を受け入れる事が出来、亜紀が天国(心の中)にいると気づいたから、サクは夢の中(心の中)で 亜紀と再会した…という具合に 考察が展開した…とも言えるのかもしれません。
ただ、亜紀の言う「天国」が 一般論として認知されている「雲の上の はるか天高いところ」とか 最近の言葉でいけば「ア-カイブ星」みたいなものであるならば判りやすいのだけども「サクの心の中」に 見つけてしまったから、問題が複雑化したと言えましょう。
「心の中に別人を置きながら、別の女性と暮らす…」
ともすれば、そういう図式に当て嵌まる姿に映ってしまうわけですね。
でもね、場所はともかくとして「天国はある」という認識に落ち着いたわけですから
「生きている間は明季を愛し、死んだ後は亜紀を愛す…」
という帰結でいいんじゃないかな…と思います。
もし明季を女性として迎えた場合、亜紀と手を繋いでいく夢を見るのはブタネコさんの簀巻きの刑に遭うことになります。
と、うごるあさんは解釈された様ですが、この点についても サク、亜紀、明希の3者間で暗黙の合意が成立している様に思えるから 簀巻きの対象とはなりません。^^;
さて、ひとまず、うごるあさんの問いかけに対するレスは 以上なんですが、ちと補足的に所感というか 私心というか 本音というか… そんな部分を ついでに語ってしまおうと思います。
根本的に、私はTV版「世界の中心で愛をさけぶ」において 「廣瀬亜紀」という女の子に感情移入してしまっており、しいては 亜紀の父親に感情移入しているわけです。
それは、私の学生時代の記憶にある「白血病で死んだ亡き友」と その親父さんに対してオ-バ-ラップするから 元々、秀逸である物語に 更なる思い入れ、感情移入を呼ぶのです。
同様に、勝手な思い込みと判っているのですが、亜紀が娘に 亜紀父が自分に…という風に入り込んで物事を考えていたりもします。
ですから、思考が どうしても亜紀擁護に固まってしまうわけです。
以前、何かの折に述べた事ですが、私はエゴイストなんです。^^;
たとえば、私の親友の1人である「易者の様な診断しか下さない2代目開業医」は 愛妻がいて二人の子供がいるけど 他に妾が二人います。
けれども、「易者の様な診断しか下さない2代目開業医」に対して「地獄に堕ちろ」とは思っても簀巻きにしようとは思いません。
私は 彼の奥さんとも、そして それぞれのお妾さん達とも 気さくに喫茶店で笑いながら お茶飲んだりしてます。
しかし、娘が彼氏に二股かけられて… なんて状況に もしなった時には その彼氏を間違いなく簀巻きにします。
これは酷く矛盾していると責められても仕方が無いと心得ておりますが、私は そういう奴なんです。
ですから、そんな私にとって「廣瀬亜紀」は 娘同然なんです。
で、その見地から言えば 極論(暴論)ですが 例えば、死んで この世にいないとは言っても廣瀬亜紀さえ満足してくれるであろう状況ならば サクが飲んだくれのアル中になろうと、その結果 明希がドメスティックバイオレンスで不幸になろうと カズキがグレて不良になろうと どうでもいい…と 囁く悪魔が 私の心の中に宿っていたりもします。^^;
サクが亜紀を想う…、亜紀がそれで満足するなら その後、サクと一緒に暮らす様になった小林明希が どうなろうと 実は知った事では無い…と判断する私だったりするんです。^^;
廣瀬亜紀、そして 亜紀の父が納得する… そういう展開が優先であり、重要なのです。
ですから、
「もし、私が 明希の父だったら 簀巻きにする」
と考えられる状況だったとしても、それ以上に
「亜紀だったら、亜紀父だったら… 納得するんじゃないか?」
と思えるならば 簀巻きになんかせず、むしろ 応援するまであると思います。
重要な事は
「松本朔太郎とは 廣瀬亜紀が この世で唯一 愛した男」
という事なんです。
その事実がある限り、どんな仮定を立てられようとも、サクが亜紀を想う(愛する)限り、簀巻きの対象とは成り得ない… というのが感情移入してしまっている私の結論になってしまうんです^^;
あ~あ、つい本音を言っちゃった^^
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最終話で、病室に戻ってきた緒方朔に、明希が一樹の父について話す場面がありますが。丁度ソラノウタを受け取る前です。このやり取りを考えると、明希にも、ずっと勇気をもらっていた人がいる、と。「亜紀さんは、朔に17年間ガンバレって、・・・・」セリフは違ってますが・・・。上手くまとめられませんが、明希さんと、朔太郎はお互いが同じ感情をもって(理解した上で)くっついたのかなと、思っています。
>庄之助 さん
私の個人的な感想ですが、TV版の「世界の…」
に登場する 17年後のサクは大いに感じ入り認める
ところなのですが、小林明希とその息子の設定には
実は 完全には受け入れられない違和感が 少しだけ
今でもある…というのが本音です。
「世界の…」の原作に対して 私が不快に感じている
部分のひとつに 17年後のサクと その彼女の描写に
あります。
端的に言えば「それじゃアキが 可哀相だろ!!…」
怒りさえ感じています。
ただ、TV版の場合、亜紀の視点で見ると
「きっと亜紀は 明希を容認したんじゃなかろうか?」
そう言う風に感じる描写でしたから 個人的には
完全には受け入れられないながらも 亜紀が容認する
なら 私も容認しよう… そう解釈して 今日に至ってます^^;
(ちゃんとした応えになってませんね ごめんなさい。^^;)
何時も他人のブログへ来ては自分の意見を語る場にしてしまっている私に対して、この様な扱いをしていただき、真に感謝しております。
と同時に、このような交流のキッカケになり大きな感動を与えてくれたTV版「世界の中心で、愛をさけぶ」の製作者にも感謝します(石丸Pもですよ)
と、まるでアカデミー賞受賞者のようなコメントをしたところで・・・
ちょっと考えが変わったかもしれません
というのはブタネコさんの仰る
「あの世なんて無いって亜紀が言ったんだもん」
という言葉です。
これで私は原点回帰しました。
亜紀が「何故自分が」という苦しみから
アボリジニの死生観に救いを見出し、
死はマイナスな事ではない、自分の死にも理由があるはずだ、という考えに行き着き、死に方に夢を求めるようになり、そしてウルル行きへとなって行きました。
私がこのドラマに最初に感動したのはまず、そこだったじゃないか、と思い出しました。
死んでもなお、この世での土となって花をさかせ、生きている人の中にずっといる。
これこそが亜紀があこがれた死生観=このドラマの死生観でした。
私は亜紀とサクにとって二人一緒にいるところこそ天国なので、そこが死んだ後の世界だろうがこの世であろうが関係無い→よってサクが死んだ後の世界は亜紀と同じ世界にいる事になるのでそこが天国だと思ってラストシーンを人生を走り終えた後の再会としてきました。
が、原点に帰ってみると、亜紀は死んだ後も土となってアジサイを育て、サクを明季が言うが如く支えてきたので亜紀はどこにも行っていない、ずっとサクの中にいたんだ、という事に気づきました、というかそうだったんだという事を思い出しました。
そうなるとサクの死後に再会というのはおかしくなります。
なのでサクの「走り終えた後、笑って君に会えるだろう」の台詞の解釈は
「この17年間は亜紀を送ってやることが出来ずにいたダメな自分だったけどようやく前へ走り出す事が出来た。これなら人生終えた後亜紀に”オレ、ちゃんと頑張れたよ”って言える人生がおくれるような気がする」っていう意味かな、と今は思います。
ラストシーンはそれの想像、つまり夢・・か。
ブタネコさんの解釈に近寄った事になりました。
でも、やっぱりちょっと
>「生きている間は明季を愛し、死んだ後は亜紀を愛す…」
は、腑に落ちません。
何か最終的には明季の気持ちは無視なの?っていう事になるので、どうにか落としどころを苦心して見つけようとするから苦しい解釈になるんだよな・・
って思ってたら
>サクが亜紀を想う…、亜紀がそれで満足するなら その後、サクと一緒に暮らす様になった小林明希が どうなろうと 実は知った事では無い…と判断する私だったりするんです。^^;
ひえーーーーーーーーーっっっ!!!
そ、それ言ったらミもフタも無いじゃん!!
そ、そりゃそうだけどさ、それ言っちゃあ客観的なモノの見方じゃないから、というんであーでもないこーでもない言ってきたのにぃーっ。
>うごるあ さん
そうなんですよねぇ…
たしかに、ミもフタも無い^^;
と言うわけで またレスを別記事にしましたんで
お楽しみ下さい^^
この3連休に過去ログも含め、読ませていただきました。(世界の中心で、愛をさけぶ関連ですが)
泣いちまったよ。おやじブログを見て。
特に、「卒業証書」のくだりは、涙腺崩壊でした。
今、6回目のDVDを、7月2日から毎週金曜日に1話ずつ見直しています。ブタネコさんやtakuさんの考察を玩味しながら楽しみます。
当方も49歳のおじさんです。
いろんなおやじがいてうれしいです。
>おじさん さん
「卒業証書」ねぇ…
今でも ハッキリと覚えてますね、頭を下げて
泣いて喜んでくれた親父さん。
ムスッとした顔で「卒業証書をナンだと思ってんだ?」と
職員室で説教タレやがったクソ担任。
「あぁ、そうでしたね それは良い考えですね」
そう言って 硯で墨をすりだした校長先生。
TV版の特別編みたいな 卒業式でのシ-ンなんかは
無かったけど、そこまでは 僕達も期待してなかった。
ただ、その校長の好意が無ければ
「なんで こんな高校入っちゃったかな…」
と、その後の人生で後悔するところでした。
楽しんでいただけて幸いです^^;