2005年07月15日

●ブタネコ的 17年の考察(2)


このところTV版「世界の中心で愛をさけぶ」における「ラストシ-ンの解釈」について 語るところが多かった。




この件に関して 私は「亜紀の遺灰を撒き終えた事で サクが観る事出来た夢」という説を提唱してみたわけだが、何度も言うように それが全てだ…と思っているわけでは無い。


他の解釈を 完全に否定する事など出来ないし、いろんな想像が出来るところも TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の もうひとつの楽しみ方なんじゃないか?と思えば いい歳かっ喰らったオッサン達が あぁでもない、こうでもないと 語り合っている姿は 滑稽だが愉快ですらある。


で、この「ラストシ-ンの解釈」は TV版「世界の中心で愛をさけぶ」における いろんな場面の解釈の中でも 大きく論議の別れるもののひとつだから、人によっては「最大の謎」と呼ぶのだが、私は あくまでも個人的な意見としてTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の最大の謎は


「亜紀の遺灰を撒くのに 何故17年間 かかったのか?」


という点なんじゃないか? と、感じてきた。


・「17回忌」というのは 仏教的に ひとつの節目と考えられる。


・亜紀が生きた17年…と言う意味で 亜紀がいた17年と 亜紀がいない17年という対比。


など、自分なりに それについての解釈を想い描いてみたけれど どれも「帯に短し、タスキに長し…」的感覚が否めず、シックリとこなかった。


「何故、サクが遺灰を撒く事が出来たのか?」


そこに答えを見出せば、「何故17年かかったのか?」も 同時に判明すると 私は考えていたのだが…


「亜紀の意思が働いた…」


このところ いろんな部分の 私の解釈の修正に影響を与えた この考えに則ると17年目を選択したのも「亜紀の意思」と思わなくてならないのだが、この点については 正直、微妙な疑問を感じる。


「17年後に 私を撒いてね」


亜紀がそんな示唆を 具体的にしていたわけじゃない…からだ。


そこで、ふと思うのは


「亜紀の骨を撒く場所が 何故、校庭なのか?」


という疑問である。


実は「世界の中心で愛をさけぶ」の原作の描写を 私が嫌う 大きな理由のひとつが それなのである。 

原作の描写は ともすればロマンチックではある。


原作でのサクは 亜紀の遺灰を当初は夢島で撒こうとする…、ここは 私は理解出来る。


しかし、夢島で撒く事が出来ず「このまま持っていよう」と考える…、ここも 私は理解する。


なのに、「何故、グランド?」 しかも、「何故、新たな恋人が そばにいるところで?」 そこに違和感を感じ、説得力を感じなかったのだ。


TV版は


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「いつも アンタはここで廣瀬を観ていたよねぇ…」


というシ-ンが代表するように グランドで 部活の亜紀を眺めるサク…という構図があり、グランドで撒く事の意味づけ(説得力)を図っている。


「もし、私がサクだったら…」


そう考えた時、真っ先に思い浮かべるのは「ウルル」である。

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あらためてウルルに行って ちゃんと撒いてやる… そう考える。


だから、映画版のラストには とても説得力を感じたのだ。


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しかし、TV版の展開を観ていて サクは 一度は亜紀の両親とウルルに行き 自分は撒けなかったけど、両親が撒くのには立ち会っている。


そう思うと、少し穿った考え方とは思うけど、「アキとサクの 二人だけの場所」というイメ-ジにそぐわない様な… ちょっとだけ、そんな違和感が生じる。


個人的願望が含まれてしまうのだが^^; 亜紀の遺灰を撒く場所は


・亜紀がいた場所


・亜紀が好んだ場所


そして、


・亜紀とサクが 共にいた場所


じゃないと 納得出来ない私がいた。


だから、次に考えた候補地は「アジサイの丘」である。


しかし、


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「亜紀など いなかったのだと言われている気がして」


と、17年後のサクに否定されてしまう^^;


ならば、次の候補地は?…と考えた時、思い浮かぶのは


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「夢島」なのだが、


確かに 亜紀の視点で考えれば、夢島は


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幸せのピ-クだった思い出の場所と考える事も出来るが、


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サクの視点で考えると 亜紀が倒れた悲劇の場所…というイメ-ジが強いであろうから いかがなものかと考える。


そうやって考えていくと

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この「校庭」という選択が ベストだなぁ…と思うに至る。



【ブタネコ注記】

これは TV版の展開を観ていてのブタネコ的帰結であって、原作の描写を肯定するものではありません。 念のため^^;


しかし…、


撒く場所が「校庭」になったのは良しとして、では


「何故、17年後なのか?」


その時期の部分の解釈は? まだ、足りていない。


でもね、あらためて考えると これって、言い方を変えれば


「17年目に 遺灰を撒けたのは何故か?」


という事にもなる。


17年撒けなかったんだから、この先20年、30年 撒けずにいたって不思議じゃない、いや、むしろ「死ぬまで撒けない」という姿が 最も理想なのかもしれない…とまで 考えた事もあった。


しかし、17年目の この時期に サクは撒く事が出来、視聴者である我々は それを


「よく頑張ったなぁ… サク」


と、泣きながら受け入れる。


何故? 受け入れられるのだろう?


撒いた場所が「校庭」だからか?


そこに気がついた時、「アッ!!」と ある事を思い出した。


第1話の冒頭

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谷田部先生からハガキである。


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「松本君、お元気ですか?

 実は今度、君たちが通った校舎が取り壊されることになりました。

 最後に見に来ませんか?

 あれから もう17年が経ちました。

 まだ帰って来れませんか?」



君たちが通った校舎が



取り壊されることになりました


これが そもそもの事の発端だったのか・・・・・・・


今、撒かないと「亜紀とサクがいた校庭」も 無くなってしまうのだ。


人間は 死ぬと灰になる。


思い出の場所も 姿を変えて 無くなってしまう…。


「生きていくために 忘れる」


「堤幸彦」そして「森下佳子」よ


オマエら こんなとこにも伏線貼ってやがったのか…


気がついてみると もう、嬉しくて 泣けて来るよ…(ToT)




記述者:ブタネコ | 掲載日時:2005年07月15日 14:39 このエントリをlivedoorクリップに追加 このエントリーのlivedoorクリップ被リンク数 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーのはてなブックマーク被リンク数
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コメント

校舎が取り壊しということですよね。
廃校とは言ってないので、建て替えだと思うんですが・・

校舎の建て替えは、先に壊してあとから新校舎を作ると、生徒の行き場がないですから、敷地に余裕のある地方の高校ならば、先に新校舎を裏庭に立てて、次に旧校舎を取り壊しになると思います。

特別編でも、工事に入っているのは校舎の敷地の方だけです。
となると、別敷地のグランドの敷地の方は工事も入っていなかったので、そのままのこると思うんですが・・・。


コメント by とさっこ | コメント受信日時 : 2005年07月15日 19:31

グラウンドがそのまま残っても、このハガキの校舎取り壊しというのが、きっかけになったんですよね~。
そのハガキを朔に手渡した明希。
亜紀の働きかけがあったのでしょうね~。

17年間、朔の傍で朔を見守り続けた亜紀。
まだ17年と限界を感じ、遂に倒れてしまった朔を見、亜紀は朔に救いの手を差し伸べた。

朔はそんな亜紀の思いを知らないまでも、17年前の清算をしようと動き出す。
結果、亜紀が朝から晩まで青春の汗を流したであろう校庭に遺灰撒き、亜紀をちゃんと送ってあげれた。

過去の想い・過去の風景はいつしか時と共に無常にも姿形を変えゆく。
その想いは完全に消える事はないけれど、おぼろげな想いに変わってゆく。

人を愛する心、それは同時に哀しみも背負う事になる。
愛別離苦・・・愛する者と別れる苦しみ。
ここで書く苦しみとは、「どうにもならない」という意味合いです。
どうにもならないことをどうにかしようとすると、そこに悩みや葛藤が生じます。
どうにもならないことを全て受け入れて、あるがままにそれを肯定する。
朔は17年経て、全て受け入れ肯定することが出来たのだと思っています。

生きる事の素晴らしさ、哀しさ、あいくるしさ、いろんな優しい感情がむき出しになる作品ですね。
子供がわかる様になったら、また親子で見たいなって思っています^^

長々とまじめにすいませんι(´Д`υ)

コメント by Wen | コメント受信日時 : 2005年07月15日 22:38

>とさっこ さん

たとえば、サクのような事情があるか否かに
関わらず、思い出の場所って そのものズバリ
だけなんでしょうか?

校庭さえそのままであれば 思い出の場所に
映るんでしょうか?

私は違うと思います。

校庭だけでは無く、校舎や 近隣の風景や
背景も ひっくるめた情景が無いと、気持ち良く
「思い出の場所」とは言いにくいと思うのです。

卒業した母校の前を 通りかかった時、

「懐かしいなぁ…」

と思った事が よくあります。

しかし、私の場合 卒業して30年前後が過ぎて
ますから、今では校舎も建て変わり、グランド
も一部分を除いて 大きく様変わりしてしまい
ました。

不思議なモノで そうなると母校には変わりが
無いけど 懐かしさとか、ノスタルジィとか そう
いったものの感じ方は とても薄いものとなり
ました。

とさっこさんの 言われるように 映像を見ると
ただ 校舎が新しくなるだけで グランドには
なんの変化も無い様にも見えます。

しかし、それでも 校舎が変わってしまう…
というだけで 上手く言えませんが、記憶の
中の「思い出」の風景とは変わってしまうもの
ですよ^^;

ま、その辺が御理解頂けなければ 今回の
私の記事は 説得力が欠けますので、笑い
とばしてください^^;


>Wen さん

簡潔な言葉で申し訳無いんですが…

やっぱり、感覚というか 感じ方が同じです。^^;

言いたかった事が 巧くまとめられていて
悔しいです^^;

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年07月16日 02:53

なるほど、
17年目に
「君たちが通った校舎が取り壊されることになりました」
という知らせがやってきて、
「亜紀とサクがいた学校の風景」も 無くなってしまう
と考え、それで宮浦に帰ろうと思ったのですね。

ダメ押しにラジオから「17年会っていません」の声を聞き、そんな事があるはずがないとわかっていながら過労で倒れたばかりの体でふらふらになりながら、雨にぬれながら、公開録音のスタジオに行ってしまい、亜紀を探すがいなくて、倒れながら骨のビンを取り出して、亜紀が死んだ事を自分に言い聞かせ、このとき17年前の亜紀の誕生日の告白の日までのことを思い出し、朝まで泣きながら、「忘れなければ」=「宮浦に帰ってけりをつけなければ」と思ったわけですね。

コメント by とさっこ | コメント受信日時 : 2005年07月16日 03:54

>とさっこ さん

今、勝手ながら思うのは もしかしたら、17年目じゃなくて 13年とか 19年とか そういう年数でも良かったのかもしれない。

要は、その「思い出の校庭の風景」が変わってしまう… それが 重要なキッカケになったんじゃなかろうか?っていう風に思えるのです 私には。

たとえば、逆に、何も知らずに 骨を撒こうと宮浦にサクが帰ったとして、校舎が改築され 校庭の風景がかわっていたとしたら はたして サクには そこが撒くべき場所と思えただろうか?と考えると そのタイミングでは サクは撒けずに 別の場所を探したんじゃないかな? とも思うんです。

いかがでしょ?^^;

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年07月16日 05:01

おはようございます。
ドラマ考察について感心しながら拝見しました。
いろいろなところで言われていましたが、このドラマの演出テーマ(なのかな?)に対称性があるようですが、堤監督が自身のブログで「作品を作るということは(中略)布を織るように撮影すること。」と書かれていました。
ずっと「布を織ること」ってどんなことなのかなと考えていましたが、もしやタテ糸とヨコ糸を紡ぐこと=対称性(やや強引か)だったのかとブタネコさんのブログを読みながら思い至ったところです。
制作する側は、たぶん、あからさまにはテーマや手法は明かしませんよね(もちろん失敗もでしょうけれど)。
放送は終わってしまっても、こんな風に「このシーンは」と考えていけたら幸せですな。
最初と最後はつまり
「はじめに おわり ありき」そして「おわりに はじめ ありき」なのでしょうか。
これからもスルドイ考察を楽しみにしています。

コメント by kenzo | コメント受信日時 : 2005年07月18日 09:49

>kenzo さん

「布を織ること」

まさに有言実行だと思います^^

『制作する側は、たぶん、あからさまにはテーマや手法は明かしませんよね(もちろん失敗もでしょうけれど)。』

制作者側が意図してない事まで

「きっと ~に違いない」

と 勝手に私は「考察」してるのかもしれません。

仮に 意図していたとしても それを

「実は ~は~で」

と制作者側が明らかにするのは興醒めにも繋がります。

謎はなぞのままでもいい… 勝手に 想像するのも
楽しい…という マニアックな世界です^^;

今後も 宜しくお願いします。

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年07月18日 20:10


>要は、その「思い出の校庭の風景」が変わってしまう… それが 重要なキッカケになったんじゃなかろうか?っていう風に思えるのです 私には。

>たとえば、逆に、何も知らずに 骨を撒こうと宮浦にサクが帰ったとして、校舎が改築され 校庭の風景がかわっていたとしたら はたして サクには そこが撒くべき場所と思えただろうか?と考えると そのタイミングでは サクは撒けずに 別の場所を探したんじゃないかな? とも思うんです。


そうですね。

もし、学校が改築されていたら、堤防で撒くんでしょうか。(でも、17年後のサクは最初に堤防にいったけれど、撒かなかったんですよね。なぜでしょう)

それとも、自転車で2人のりした通学路でしょうか。回数的には、こちらが多いですが。

コメント by とさっこ | コメント受信日時 : 2005年07月19日 13:30

>とさっこ さん

どこに撒いたんでしょうね^^;

答えが判ったら教えて下さい^^

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年07月19日 14:01
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