私が 本格的に歴史小説の世界にのめり込むキッカケとなったのは
司馬遼太郎の「国盗り物語」だったと言えます。
それよりも前に 何冊か読んでいたし、TVドラマや映画なんかも見ていたけど、記憶を辿る限り やはり「国盗り物語」が原点です。
しかも、それは小説では無く、NHKの大河ドラマの映像が原点です。
・斉藤道三=平幹二朗
・織田信長=高橋英樹
・明智光秀=近藤正臣
・羽柴秀吉=火野正平
上記キャストは ハッキリ記憶してます。
徳川家康が誰だったか覚えてません^^;
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康… 当時の私は それぞれの名前は知っていたけれど どういう人間関係だったのかは 殆ど知らずにいたわけですが、1年間 初めて大河ドラマを全部見通して もの凄く引き込まれた。
だから、直ぐ、「国盗り物語」の原作を読み、司馬遼太郎の世界に どっぷりと浸かった。
それと、同じ時期に 戦国時代の いろんな武将に興味が出て 貪るように いろんな作家のいろんな本を読んだ。
で、結論的には
・山岡荘八の「徳川家康」
・吉川英治の「太閤記(豊臣秀吉)」
・司馬遼太郎の「国盗り物語(織田信長と斎藤道三)」
・新田次郎の「武田信玄」「武田勝頼」
・海音寺潮五郎の「天と地と」(上杉謙信)
という感じで それぞれの武将のイメ-ジの基礎となった書と出会っていく。
で、ここで ハタと気づくのは 例えば
山岡荘八の「徳川家康」で描かれる織田信長と
吉川英治の「太閤記(豊臣秀吉)」で描かれる織田信長と
新田次郎の「武田信玄」で描かれる織田信長と
司馬遼太郎の「国盗り物語(織田信長と斎藤道三)」の織田信長は
海音寺潮五郎の「天と地と」(上杉謙信)の織田信長は
基本的な部分は一致しているんだけど 全て、微妙に違います。
例えば、父である織田信秀が死んだ時 葬儀で位牌に向かって焼香鉢を投げつけるシ-ンがあるけど その時の信長の心理描写は 四作全部違う…と言う具合に。
同じ様に 本能寺の変後、備中高松攻めから羽柴秀吉が 明智光秀を討ちに行く時の心情描写や背景なども 違います。
どこまでがフィクションで どれがノン・フィクションなのか?
それを簡単に読者が 文体の中から見分けることは無理です^^
だって、どの作品も ドキュメントの様でドキュメントじゃない「小説」だからです。
司馬遼太郎の「国盗り物語(織田信長と斎藤道三)」には お万阿(油問屋の娘)という架空の人物が出てくる、他の四作にも 似たような架空人物が出てきます。
つまり、大雑把に考えれば 五作全部に共通の事柄だけが おおよそ、ドキュメントと考えていい…程度に押さえないと 極端な事を言えば フィクションかノンフィクションかの見分けがつかないのです。
で、後年 例えば、稲葉山に登ったり、備中高松城の城址だとか 関ヶ原や桶狭間の古戦場跡を 実際に、自分の目で見て歩いてみると
「あぁ、あの本の描写は 大げさだ」
とか、
「あぁ、本からのイメ-ジと違って 実際は ~なのか」
って事が判る。
私が歴史認識を 自らの中で考える時、ひとつの書物や 1人の話だけで判断するのは危険だ…と考えたのは そういう経験からです。
具体的に一例を挙げてハッキリ申し上げれば 私の記憶の中で 多くの書物から得たイメ-ジと 実際の現地を見て大きなギャップを感じた場所のひとつが 岡山県の総社の近くにある備中高松城の城址に行って現地を見た時です。
秀吉は 川を堰き止め 一時的なダムを作って 高松城をダム湖の中に孤立させ 兵糧攻めにした…、明智光秀を討つために 早急に京方面に兵を移動させるため 毛利方の使者、安国寺恵瓊に 城主:清水宗治の切腹の因果を含め 休戦協定を結ぶ。
多くの書物は 城主の清水宗治は水面に浮かんだ船の上で切腹して果て、それを秀吉は遠くの高台から見届けて 包囲を解く…
と言う風に 文章描写してるから つい、もの凄い広さと深さの(まるで湖のような)ダム湖を想像してしまう。
ところが、実際に現地に行ってみると のどかな水田が広がった平地の真ん中に備中高松城址はあるのです。^^
と言う事は、たしかに城を水没させたのであろうけど 水位はそんなに深く無い。
ほんとに小舟を浮かべたの?って事も 正直、疑問に思ったぐらいです。
台風などの水害で 町中をゴムボ-トで避難する…という景色を想像して下されれば もし、小舟…の事実があったならば そういう情景だったわけです。
だとすると、その小舟の情景を作中に表現している司馬遼太郎って ホントに その備中高松城址を「国盗り物語」を書く前、もしくは書いている最中に自分の目で見て書いたのかな?
そういう疑問が浮かんだわけです。
湖の真ん中に ポツンと城が浮かび、そこから小舟に乗った清水宗治が現れ、やがて、船上で切腹して果てる… 「国盗り物語」で描かれた そのシーンはダイナミックで かつ、ドラマチックなんです。
(TVの映像も そんな感じでした。)
でもね、実際の現地に行って そのシーンを思い浮かべるのは 正直言って 非常に疑問を感じてしまうほど 地形が違うのです。
それからですね、私が司馬作品に対して「小説」としての面白さは感じても ドキュメント性を疑ってかかるようになったのは。
「坂の上の雲」は 日清、日露戦争の時代の 正岡子規や夏目漱石といった文豪をはじめ、秋山好古や児玉源太郎など 当時の陸海軍を描いた名著だとは思けど、特に明治以降の時代の作品を読むと 軍隊や天皇が絡む文章・描写に どことなく嫌悪的な雰囲気が鼻につくようになり、「翔ぶが如く」「この国のかたち」等も名著とされているけれども 私には 先に述べた軍や天皇に対する嫌悪感で述べられた 偏った世界観に映って馴染めない。
203高地で大量の日本軍兵士が 殆ど虐殺のように死んでいったと 司馬は「坂の上の雲」で描いてます。
そして その責任は攻撃部隊の指揮官だった乃木の無能をはじめとする 幕僚達の無能によるもの…と論じています。
しかし、当時の軍事的常識などを考えると 戦死者の数は確かに膨大だけども、ある種、仕方の無い事だったとも思える部分があります。
では、何故、司馬は そこを執拗にこき下ろしたのか? それを考える時、ひとつの推論が浮かびます。
それは 先にも述べた様に司馬が軍隊や天皇が絡む文章・描写において 彼が何かトラウマ的に嫌悪する感情が混じっているのではないか?という事です。
乃木は日露戦後 妻と共に自殺します。
その理由は 遺書には、「西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための殉死」と記されていたとあるが、実際には 跡継ぎである二人の息子を 日露戦争で失ったからだ…という説もあるし
「天皇陛下の多くの赤子達を死に至らしめた責任を痛感し…」
という言葉が遺書の中にあった…という説もある。
それが、乃木の死が「殉死」と讃えられ「軍神」と扱われ、後の帝国陸軍の「天皇陛下万歳」に繋がった…という風に 司馬が考えていた点なんです。
つまり、後に 司馬が忌み嫌う昭和初期の軍や天皇に対する嫌悪の根元が 乃木から始まった…という部分です
そういう感情を司馬遼太郎が抱き、彼の作品における人物描写や背景描写に投影されるのは「小説を書く」という意味合いにおいては 何の問題も無い事なのだけど 問題なのは「坂の上の雲」という小説が 傑作として高く評価される事によって いつの間にか、「坂の上の雲」という小説で描かれた内容が 全て事実、「小説」では無く「ドキュメント」として読者に認識されていってしまった…と言う点です。
それと、司馬より後年の作家達は 司馬遼太郎が先に描き、ある程度、人気を博した作品で描かれた人物や歴史背景に対して 模倣・引用の様な描写はしても 独自の視点や観点で描こうとする気骨のある作家がいないのか?と思うほどの体たらくなので いつの間にか「司馬式歴史認識」が 事実の如く罷り通ってしまう肉付けになっている事が多いと思います。
けれども、独自に坂本竜馬のファンとか、竜馬を研究している人々には「竜馬がゆく」で描かれた竜馬像を受け入れていない人が多く存在します。^^
同じ様に「坂の上の雲」の秋山好古に関しても 司馬ほど好意的に受け止めた書物は少なかったりします。
上記の事を総合すると 歴史小説をフィクションの「小説」として楽しむ分は 何の問題もないけれど 歴史を元にしてるだけに その小説で描かれている人物や背景が全て正しいと その小説の内容だけで受け止めてしまうのは危険だよ…という事なのです。
たとえ、それが「司馬遼太郎」という名のある作家の作だから…と言って 鵜呑みにするのも危険なのです。
ひとつの認識・解釈と受け止めるに留め、他の作家や文献、出来れば 場所を実際に見るなどした上で 自分式の認識・解釈をまとめなくてはいけないと思うわけです。
ですから、同様に 天下のキャスタ-「筑紫哲也」の解説だから…とか、「朝日」「毎日」「読売」といった新聞が まさか、嘘やデタラメを書かないだろう…と 信用しきるのも同じ様に危険なのです。
同じニュースを伝えるにしても 紙面の位置、記事の配置、解説の内容 そういった物を読み比べてみる事が必要なのです。
こうやって述べると 如何にブタネコって奴が へそ曲がりで、素直さが足らなくて、頑固で偏屈か 御理解頂けると思いますし、中には そんなブタネコを嫌悪される方もいるでしょう。
でもね、深い内容の会話で議論をする場合には こちらも それなりの認識や見識を持ち合わせなくては話が成立しないのです。
多くの場合、議論が白熱すると 気づかぬうちに感情論に終始してしまいガチです。
しかし、感情論だけでは建設的な会話は成立しません。
この場合の建設的な会話とは 小賢しい連中が簡単に口にする「話し合えば判る」という図式の会話です。
解り合うために話し合うには 感情論は持ち込んじゃいけないのですが、議論をするための予備知識が足りなければ 議論は簡単に感情論になってしまいます。
残念ながら 多くの日本人は利口ぶって「話し合えば判る」と口にしますが その多くが予備知識すらまともに持っておらず、要は「最初から まとまな話し合いなんか出来ない」状態なのに「話し合えば判る」と口先だけでカッコつけるので 小賢しいと私は感じるのです^^;
と言うわけで、私は 頑固で偏屈なオッサンと自認しているわけです^^;
頑固と偏屈は、概ね認めますよ^^
へそ曲がりと素直さが足りないという所は、御自分に正直といった所でしょうか?
( ゚∀゚)人(゚∀゚ )ナカマー?
私は始めて最後まで読んだ、司馬さんの著書は、日本人を考える(対談集)でした。
ケンカ三昧だった、中2の夏の頃でしたね~(*´ー`) フッ
箱根の坂、峠、韃靼疾風録なんかもいいですね~。
故郷忘じがたく候なんかも、地元(鹿児島)のお話だけに好きな1冊です。
街道シリーズも好きだな~w
司馬さん・・・戦時中の体験が随分トラウマになってしまってますので、やっぱり帝国陸軍嫌いになってしまうのでしょうね。
司馬小説は、戦後「なんでこんな日本になってしまったのか?」という疑問への、自分への手紙ですから・・・
人間的には、大変素朴で飾らない方で、私は尊敬に値する人物だと思っております。
今度、熱く語り合いましょう( ̄Λ ̄)ゞ
語れるかな?語れなかったら堪忍忍w
いや、語るよりも素直にお話を傾聴した方がいいかもw
ブタネコ大学10月開校(・∀・)イイネ!!
( ̄ .  ̄)ノ" 一人ナンデヤネン
★ Wen さん
私、司馬遼太郎の小説は 基本的に好きです。
ただ、しつこいようですが「小説」が面白いと
おもっているだけで 司馬遼太郎氏が私の
歴史の教師では無い…ってメリハリを申し
上げたかっただけです。^^
だから、戦争がらみ、天皇がらみの司馬氏の
意見は拝聴に値しても尊重は出来にくいのです
(私としては…です)
『今度、熱く語り合いましょう』
いいですね、楽しみです。^^
私にとっても歴史の教師は、自分の目と耳かな~?
私も今から楽しみにしてます。
お手柔らかにというか、ヲタ話でよければ・・・
( ゚Д゚)ハァ?違うかな。
ブタネコさんほど、守備範囲広くないしな~と一応逃げ口上を書いときますw
返書、ありがとうございます
ほとんど私の感じてた事と同じですね。
もっとも私は実際に史跡を訪れたわけじゃないけど、
あそこまで執拗に書かれるとね、やっぱり「?」と思っちゃいます。
>小説で描かれた内容が 全て事実、「小説」では無く「ドキュメント」として読者に認識されていってしまった
備中高松城の水攻めは何なんでしょうね。
まあ、これが秀吉の生涯の中でもハイライトの一つであることは間違いないので、それをドラマチックに描く事が小説=エンターテイメントとしての役割、という事でそういう描写になったんでしょうかね。
私が司馬小説に対して「?」と思うようになったキッカケは家康に関しての描写ですかね。
まるで日本人全員が江戸幕府に関して悪い印象を持ってるが如く書いているけど、そうは思わないし、特に私が関東在住である事も関係するんでしょうけど周りに誰も家康=徳川幕府を悪し様に言う人はいません。
それもまた偏った情報、教育の結果かも知れませんが。
それからですかねー、危険信号持ちながら読むようになったのは。
読みやすくて面白いんですけどね。
>こうやって述べると 如何にブタネコって奴が へそ曲がりで、素直さが足らなくて、頑固で偏屈か 御理解頂けると思いますし
逆なんじゃないですか。素直さが足らない人は「自らの中で考える時、ひとつの書物や 1人の話だけで判断するのは危険だ」とは思わないでしょう。
ただ・・・
そんな人が何故まだ「堅気」の意味が分らないんですかー
★ Wen さん
え? ヲタ話のサミットじゃないの?
★ うごるあ さん
>エンターテイメントとしての役割、という事でそういう描写になったんでしょうかね。
それが全ての様な気がします。
細かいことを言うと、この場面の前後
例えば
・安国寺恵瓊は 本当に秀吉に通じ、毛利を裏切っていたのか?
・光秀から毛利に宛てた書状を秀吉の兵が押収したのは事実か?
なんて事も 国盗り物語での司馬遼太郎の解釈が その後の、多くの作品に影響を与えた…と言われてます。
「秀吉の大返し」等と呼ばれ、信長の仇を討ち、清洲会談で譜代の柴田勝家達よりも上席に座り、その後の太閤への… その流れを考える時、ドラマチックな描写に熱が入ったんじゃないでしょうか?
家康に関しては 司馬があまり細かく触れていないのと、司馬よりも先に多くの作家が、いろんな解釈の作品を発表してますよね。
私は個人的に山岡荘八の家康が 一番、馴染みやすいんですが、司馬遼太郎の「関ヶ原」で描かれた家康、石田三成と対比させると 実に面白かったりします。
司馬は「豊臣家の人々」なんてのも書いてますが、なんて言うか 単純に人物に対する好き嫌いの度合いが強いんだと思います^^
つまり、豊臣は好きだけど 徳川は嫌い…みたいな感じですね。
だから、「関ヶ原」で描かれた石田三成は もの凄く新鮮ではあったけど あまりにも高潔な人物に描きすぎていて 面白くはあったけど、「小説」にしか感じ得ません。
個人的意見を言えば 作品にもよるけれど 私は「司馬遼太郎」よりも「山岡荘八」の方が 同じ「小説」ではあってもドキュメント性が高いと思っています。
例えば、関ヶ原の戦いに関して 当初の東軍と西軍の配置や 家康側が行った謀略に関する軍事的考察は 正直言って 山岡荘八の方が遙かに上と感じています。
余談ですが、山岡荘八の作に「小説・太平洋戦争」というのがあり、これは 太平洋戦争全般の陸海軍や政治家の行動が 非常に緻密に描写されており、個人的には秀逸な作だと思っています。
尚、「堅気」という文字は 歴史小説や推理小説にはなかなか出てこないため どうにも意味が判りたくありません^^