2005年08月02日

●takuさんへの返信(重い編)


この記事は 私が 常日頃から神ブログと崇め奉る…

綾瀬はるかなる日々』さんの『世界の中心で、愛をさけぶ・第4話』と言う記事において…



「やらないで失敗しないより やって失敗したほうがいいと思う・・・」

10代で同じ年の場合 精神年齢は圧倒的に女子が上になりますね^^

特に男子は 思っている事が うまく言葉にして伝えられない事が多く

それができない自分にジレてしまうことがあります^^

そんな時 それはこういう事なんじゃないの? と 例え話だったり 

1冊の本だったり 1篇の詩だったり・・・に置き換えて 

自分の考えを理解してくれる女子がいたら・・・

忘れられない人になっちゃうんだな これが!^^;;

多分 コレを読んでいる 35歳以上の方なら 

今までに一人二人いるはずですw

その辺の 森下脚本のノスタルジックな部分をかきたてるうまさが 

このドラマのファンの年齢層が高いことに寄与している

原因のひとつだと思われます^^

(その辺 どう? 10代の頃の同級生を奥様に持つ 北の御方様は・・・?(爆) 

ちなみに・・・これは正式なネタ振りですw 1本これで書いてね♪).


と、神ブロガ-taku氏より 与えられた課題に対する返答その3


「凄く重たい内容 編」


です。^^;




このTV版「世界の中心で愛をさけぶ」の第4話 ちょうど、そこで描かれる 亜紀と朔の年代の頃、私と嫁は 同じ様に”付き合っている”仲だった。


だけど…、私と彼女は その時点で”付き合って”はおりましたが、結婚とかを考えたり話題にはしませんでした。


今、あらためて そういえば、あの頃 そんな話なんてした事無かったなぁ…と思うばかりで、


「なんで、しなかったの?」


と、聞かれても答えようがありません^^;


ただ、強いて言えば 我々の場合は 当時、入院中だった”我が友”の存在があり、そんな状態の”我が友”を思えば 結婚とか将来とか そんな話題を口に出来なかった…というのが 正直なところでしょうか。


TV版「世界の中心で愛をさけぶ」の中で 病状が悪化していった亜紀が たとえば


「私、なんの為に死ぬんでしょうか?」


と 谷田部先生に問うシ-ンがありますが、実は こういうシ-ンが 我が友と 見舞いに行く嫁との間に 毎日の様に、それも1日の中で 何回も繰り広げられていた様です。


ここで「いた様です」と記したのは そういう会話をしているところに 現実に私が立ち会った事は数回しか無く、その時間帯の殆どは 私は部活だったからでもありまして…


部活が終わった後、”我が友”の見舞いに行ってる彼女を迎えに行き、私の場合は ほんの短い時間に”我が友”と会話を交わすのが 殆どだったのだ。


当時、その病院には ”我が友”と 同年代の”我が友”と同じ病気で入院していた患者が何人もいたのだけど、”白血病”という病気に対する認識や 恐怖とでもいう偏見の様なものがあって そういう患者を見舞いに行く友人なんて 実は もの凄く少なかったのだ。


だから、毎日の様に 入れ替わり立ち替わり 数人の それも男子も見舞いに来る”我が友”は 今、思うと もの凄く寂しい話なんだけど 入院患者同士という狭い世界の中では ある意味自慢できる事だったんじゃないか? なんて思ったりする。


おそらく 入院生活中に”我が友”が笑顔になる事があるとすれば 見舞いの友人達と話している間ぐらいのものだったのだ。


だから、”我が友”の親父さんが 我々に優しくしてくれたのであろう…。


まぁ、殆どの場合 長い時間を”我が友”と 病室で過ごしたのは ウチの嫁だったわけですが…




”我が友”が 高校に入って間もなく発病し、そのまま入院してから1年以上が過ぎていた。


”我が友”が 入院する時に”我が友”の両親は


「(余命は)もっても半年ぐらい、年内いっぱいが限度と…」


余命宣告されたいたのだが、その刻限から半年以上過ぎた ”我が友”にとっては入院してから2度目の 来るはずの無い夏の事である。


見舞いの帰り、ふと 彼女が


「ねぇ? 天国ってさ、テ-ブルの真ん中に

 美味しい御馳走が山のように積まれてて

 それを みんなで もの凄く長い箸で食べるんだって…

 でもね、その箸 あまりにも長いから

 自分で取って食べる事が出来ないんだって、

 で、誰かに食べさせてあげるかわりに

 自分も誰かに食べさせて貰うんだって…」


そんな事を 突然、私に喋り出した事がある。


それは おそらく見舞いの最中に ”我が友”が彼女に話した事なわけで…


「私、箸の持ち方下手だから 今から練習しておかないと…」


と、”我が友”が 続けて言ったのだそうだ。


”我が友”は 元気な時とは すっかり相貌が変わってしまい、やつれ果てていただけに、間違っても その辺に触れてはイケナイ… 私は そう固く信じていた。


それなのに…


「だからね、私 言ってあげたのよ。

 じゃぁ、もし、アナタ(我が友)が死んじゃったら

 棺に 沢山の割り箸とスプ-ンを入れといてあげる…って」


と、ごく当たり前の さりげない会話の様に、彼女が言うのだ。


ビックリして


「そういう会話は いくらなんでもマズイんじゃないの?」


と私が聞くと


「だって、あの子(我が友)は もう死ぬ事を覚悟してるよ」


そう平然と(その時は)言い切ったのだ。


本当に 私は何も言えなくなった。


黙っている私に「怒ったの?」と彼女が聞く。


決して 彼女に対して怒ったり、不快に思ったのでは無い。


けど、高校2年生という歳で 平然と死を受け入れる者と それと対等に会話出来る者の存在、そして その二人の間で交わされる会話の内容の凄さに ついていけなかったからだ。


でも、何かを言おうとすると 巧く説明できないんだけど、


なんか最終的には怒ってしまいそうで… 


だからと言って怒らずに 巧く言える言葉や表現も見つからなくて… 


結局、何も言えなくなっていた。


そんな私に対して 彼女は それ以上は語りかけず、二人とも黙ったまま家に帰った。


翌日、いつもと同じ様に 私が”我が友”の病室に 彼女を迎えに行くと 


「ねぇ? ブタネコ君、知ってると思うけど 

 私、もう いつ死んでもおかしくないの…

 お医者さんが言った余命宣告は 

 とっくの昔に過ぎちゃってるし、

 見ての通り どう考えても 

 これから元気になれる様な姿じゃ無いでしょ?」


いきなり、”我が友”から そう言われた。


「だから、無理に”治るかも”とか”可能性は…”なんて

 言って欲しくないの。

 もう、間もなく この世からいなくなるのに

 その最後の貴重な時間を 嘘やタテマエや欺瞞なんかに

 付き合ったり、気配りするなんて とても、もったいないの…

 判ってくれるでしょ?」


私には 返せる言葉が無かった。


その日、見舞いの最中に 彼女は前日の私との会話を”我が友”に話したのだ。


「だから、ブタネコ君も そんな飾った考えや言葉選びをしないでね?」


私は何も言えなかった。


何も言え無いどころか、無性に、ポロポロと泣いてしまっていた。


「泣いちゃいけない…」


と思えば思うほど 涙は止まらなかった。


そんな私を 彼女は


「あ~ 泣いちゃった」


と、茶化し ”我が友”は


「ホントだ ブタネコ君が あんな泣く姿 産まれて初めて見た」


と、笑っている。


その台詞に 彼女は


「それ、きっと最初で最後だよ」


と、ツッコミまでいれて もの凄く楽しそうに二人で 何かを言い合いながらケタケタ笑っていたのである。


1年と9ヶ月、実質的には ほぼ、1年半という期間、彼女と”我が友”は 病室で いろんな会話を交わした様だが、その内容は 想像を絶する次元のものと思われ 彼女が嫁となった今、現在においても その時の内容を私は聞けずにいる。


”我が友”が”亡き友”になってしまった通夜の日の真夜中、斎場の祭壇に置かれた棺に 彼女は 業務用の割り箸が300膳ぐらい入った袋と ステンレスのスプ-ンを約束通り亡き友の棺に 私に入れさせた。


「なんで自分で入れないの?」


と聞く私に


「亡くなってしまった後の”抜け殻”は 絶対に見ない…って約束したの。」


と言った。


その時、ふと、”亡き友”は「恨む相手がいるとすれば それは神様」と言っていたぐらい、宗教感を嫌っていたから 御馳走が山盛りになった大皿がある天国を 絶対に信じていたとは思えない…事に気づいた私は


「信じていないのに、なんで箸やスプ-ンを持って行くのだろう?」


と感じた矛盾を 彼女に聞いた。


すると、彼女は ケロッとした顔で


「もしかして、

 行ってみたら 本当に天国って 

 そういう所かもしれないじゃない?

 だから、あの箸とスプ-ンは 万が一の為の用意なの、

 必要なければ 三途の川に捨てちゃう…って言ってたし」


そう言う部分は 呆気にとられる程、現実的でもあるのだ。


「そっか そんな事まで 約束してたのか… いいよ、好きなように やっていいよ」


優しい微笑みを浮かべながら そう言って ずっと、遺影を眺めていた ”亡き友”の親父さんは 焼骨の後、台の上に ほとんど原形をとどめたまま遺っていたスプ-ンを大事に持ち帰り アイスやメロンやスイカなど、”亡き友”が好きだった物を食べる時は 必ず そのスプ-ンで食べていたそうだ。


おそらく 親父さんは 亡き娘と一緒に食べているつもりだったんじゃないかな?…


そう思うと 心中が痛いほど察せられる。


それを ある時、嫁に話したら


「へぇ… じゃ、あのスプ-ンも 案外、無駄じゃ無かったね」


そう言って笑ってた。




記述者:ブタネコ | 掲載日時:2005年08月02日 01:13 このエントリをlivedoorクリップに追加 このエントリーのlivedoorクリップ被リンク数 このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーのはてなブックマーク被リンク数
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コメント

もうすぐ・・・お盆・・・ですね・・・

takuの“亡き友”は・・・明後日 一周忌です・・・

コメント by taku | コメント受信日時 : 2005年08月02日 04:45

ブタネコさんへ
今日の3部作は心にしみますね、非常に良いです。
齢50半ばを過ぎると派手な招待状より黒枠のものが多くなってきます。
出身が広島と言うこともあるのか異常に癌が多いです既に2人が逝きました。そのうちの一人で懇意にしていた奴の事ですが、距離があったため彼の闘病生活のことは知る由もありませんでしたが、育ち盛りの子供を残して逝った彼の気持ちを推し量ることができたような気がしました。今でも彼の奥様とは手紙のやり取りをして、彼の子供が成人して独り立ちしていることを聞き少しは慰められもしました。
もうすぐお盆です、彼とブタネコさんの無き友に合掌。

コメント by タンク | コメント受信日時 : 2005年08月02日 11:31

★ taku さん

御心中 お察し申し上げます。


★ タンク さん

私も 暑中見舞いのハガキの数より
黒枠の方が 圧倒的に勝ってしまっております^^;

ささやかながらも、お役に立てたと伺い、
とても嬉しく存じます。

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年08月02日 14:58

サクが亜紀に「死ぬって事が否定できなくなった時、死に方に夢を持つのは諦める事なの?」と言われた時の感情はきっと当時のブタネコさんと一緒なんでしょうね。
サクの場合は長い時間一緒だったわけですけど
それでもこの台詞を言われた後に「分らないや」と答えるしかなかったサクは、やはり亜紀の死生観には追いついてなかったと思います。

恐らく「私何の為に死ぬんでしょうか?」と聞かれた大人の谷田部先生でさえ、そうだったと思います。
返した答えは亜紀の「あの世はこの世の人が作り出したもの」という考えに近いものでしたけどね。
内心はあの答えが亜紀を納得させられたかどうか、谷田部先生も自信は無いんじゃないかと思います。

コメント by うごるあ | コメント受信日時 : 2005年08月02日 22:40

今週末、四十九日法要に行って参ります。

お盆も来ますね~。
今年は両親共々夢枕に出ないかな~w

でも、気丈な振る舞いの奥様・・・やっぱ(・∀・)カコイイ!!

でも、内心はズタズタだったんでしょうね~。

なんか読んでて、
。・゚・(ノД`)ヽ(;Д; )モライナキシチャターヨ

コメント by Wen | コメント受信日時 : 2005年08月02日 23:32

★ うごるあ さん

谷田部先生は
「遺された人の一人一人が決める事なんじゃないかな? その生き様を見て…」
と言いますよね?

これ、もの凄く説得力がある。

まさに、その通りでした

言われた瞬間に即答出来ず、今でも明確に言葉で
回答することは正直言って 自信ありません。

でも、「生き様」から いろんな事を教わりました。


★ Wen さん

御苦労様です。(変な意味は一切含まずです)

今は 私がズタズタです。(変な意味です)

コメント by ブタネコ | コメント受信日時 : 2005年08月03日 01:57
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