相変わらず、「白夜行」に関して賛否両論が渦巻いており、面白いなぁ… と思うので記してみる。
で、何が私の様なへそ曲がりに「面白く」感じるか?というと…
まず、未だに「白夜行」の原作と TV版の物語が違いすぎる!!と怒っている人が多い事。
これは、一般的に原作を「大変面白かった」と気に入っている人にとって その原作がTV化された時に 内容があまりにも弄られ過ぎていると起きる現象で、横溝ヲタを自認する私としては「石坂金田一は素晴らしいけど、渥美金田一は不可」と言うのも その典型。^^;
でもねぇ、どうか冷静に考えればいいのに…と思うのは 普通、「原作と違う」って怒るのは 原作の描写と全然違う話やイメージを映像に盛り込む事で 私の横溝映画で言えば「なんで渥美は洋服着て、麦藁帽子なんだよ」なんて意味。
しかし、「白夜行」の場合は 原作では亮司と雪穂の直接的関係や会話などの描写は殆ど無く、その部分を読者は想像してイメージを造り上げてるように原作者はし向けており、いくら自分のイメージと違うからと言って「原作と違いすぎる」という風に「原作」を持ち出すのは如何なものか?と まず思う。
だって、原作者である東野圭吾自身が 明確に文章表現していない部分であり、「御自由に御想像願います」みたいな部分なんだから、それを「原作と違う」と言うのは 意味がよく判らない事の方が多いのだ。^^;
その上で、そういう方々の意見を眺めると まず、原作ありき…という観点からの考察が行われるのだが、ここで注目すべき点は その多くの方々がTV版「世界の中心で愛をさけぶ」に関して 過去にいろんなブログで「原作なんか駄作」とか「原作には無い部分を見事に描いてくれた」なんて感想を熱く語った方が多い事。
「世界の…」では「原作で描かれなかった友人や、家族や、教師との話」に「感動した」と大絶賛を行いながら、「白夜行」では わざと描かれていない「亮司と雪穂の直接的な接触部分」を「描き方が違う」と不満を言う。
そこに へそ曲がりな私は非常に「面白さ」を感じるのだ。
例えば、ブタネコは「白夜行」の原作から受けた亮司のイメージは 雪穂を陰ながらサポートする事に徹した男であるとは理解しつつも、何故 そこまで「縁の下の力持ち」的役割に徹する意を強くしたのか?という理由付けの部分が原作では汲み取り難いと感じていたし 雪穂も計算高く、内面の顔を決して表に見せず 表向きの顔を上手く使い分ける狡猾な女という風に理解したが、将来へのビジョンが原作からは読み取りにくく理解出来たとは言えずにいた。
だから、その原作の読みとりにくい部分を含めて 森下流の解釈とはどんなものか?としてTV版の「白夜行」のストーリーが放映されているのだ…と思えば 100%では無いけれど、4話までの物語は理解の範疇内だと思っているのだが…
「TV版の白夜行は 白夜行とは呼べない」
なんて不満を耳にすると「そんなの当たり前じゃん」と 私は思うばかりだ。^^
だって、「白夜行」の原作をドラマ化するにあたって 吟味した結果、脚本に森下佳子、亮司と雪穂に 山田孝之と綾瀬はるかを選択した…という流れじゃ無く、山田孝之と綾瀬はるかのコンビのドラマを 森下佳子に書かせるために どの題材を利用しようか…という流れで「白夜行」が選ばれた…という流れなんだよね このTV版「白夜行」は。
これって似てるようで 意味が全然違う事なんだよね。^^;
物事の流れがまったく逆であり、その逆の流れで原作通りの「白夜行」になるわけないって最初から判っていい事じゃん^^;
だからこそ根本である「白夜行」って本を読んで「この純愛物語を演じられるのは 山田と綾瀬しかいない」と 制作発表当初に宣っていた大馬鹿野郎の石○Pを 私が散々、罵ってきたのは まさに、そういう部分が「違うだろ」って事なんだけど いまだに「石○氏を擁護すれば…」なんてコメントするアホに辟易するばかりなのは それが私の理由だからだ。
にも関わらず、その辺に気づきもしないで「イメージが違う」って直線的な文句は まったくもってお門違いな意見だと そろそろ気づいても良いだろうに^^
で、3話あたりの話から
「亮司が どんどんダークになって…」
というコメントがやたらと目に付くのも へそ曲がりな私には興味深い^^
率直に言って「亮司君 まだまだ、全然、ダークじゃ無いじゃん」というのが私の感想。
ここで、誤解して欲しくないのは「山田孝之」の演技を貶してるんじゃないし、ダークじゃない亮司…というキャラ設定が「違う」と安易に批判するつもりでも無い。
全然、ダークなんかじゃ無く、むしろ 雪穂への依存度が強すぎる亮司像…という森下解釈に「へぇ、そうくるか…」と、その上で「だったら、この先 どう描くのかな?」と楽しみに思いつつ、ちょっと悪い事しただけで「ダ~クだぁ」と過剰に騒ぐ輩に「なんだかなぁ…」と言いたいだけなのだ。
例えば、第4話のラストを思い浮かべて頂きたい
「なんか、すっごく温かい。」
「人の身体ってホントは温かいものなんだね」
「なぁ、雪穂。 あの日のアナタは とてもとても綺麗だったんだ…」
「だけど…」
「あの日も雨が降っていたんだ」
「雨に洗われ溶け出した俺達の罪と罰」
この表情と台詞のどこにダークさがあるのでしょう?
もし、亮司が本当にダークなら
この時に、ハイライトをプカッと一服して フーッと天井に吹き上げながら
「身体でイワしてやったぜ…」
って感じの不敵な笑みの一つも浮かべるんじゃないの?
雪穂も雪穂で もし、冷酷な悪魔なんだとしたら
この時に、こんな幸せそうな笑みでは無く、
「とりあえず、ヤラせてやれば言う事聞くでしょ」
なんて思えるような やはり不敵な笑みを浮かべるんじゃなかろうか?
で、これは この画の山田や綾瀬を批判する意図で言うつもりは無い。
この画の それぞれの表情は演出意図に則った物であろう事を 私は重々承知しているのでケチなんかつける気は全く無く、もし、異議を呈すとするならば その演出意図の方に対して「そんな解釈なんですか?」という事を言うだろう。
だから、こういうシーンに対して 「綺麗」とか「幸せそう」なんて感想を抱きながら 「亮司ってダ~ク」とか「雪穂は悪魔」なんて見れるのが 私には不思議だ…って事であり、「冷酷な雪穂を見事に演じるはるかちゃん」とか「ダークで冷酷な亮司に成りきっている山田君」なんて感想は 役者の演技をきちんと見て評しておらず、もう論外と言うほか無い。^^;
なのに、その辺のベースとなる部分すら混同しちゃったまま 例えば「はるかちゃんヒャッホイ」とか「山田君 LOVE」といった系統のブログに 「白夜行は原作から外れすぎでおかしい」とコメントする輩の多さに なんとも言えない滑稽さすら感じる。
正直言って、今までのところ 森下流解釈による亮司と雪穂は 白夜行を読んで抱いた私の亮司と雪穂像とは大きく違う。
けども、先に述べた様な理由で 原作では描き切れていない部分の補完を含めての森下流に関して ひとつのドラマの筋立てとして大きな違和感を現時点では大きくは感じていない。
しかしながら双手を挙げて「感動しまくってます」なんて状態でも無く、及第点ギリギリライン上を推移しているに過ぎず、この先の展開によっては評価は良くも悪くも大きく変わる可能性があると自覚しているので現時点では簡単に語りたくないのである。
現時点で簡単に評価を下せる方々に 嫌味のこもった敬意を抱く次第でもある。^^;
「はるかちゃんヒャッホイ」系統ブログ代表のtakuですw
>この時に、ハイライトをプカッと一服して フーッと天井に吹き上げながら
「身体でイワしてやったぜ…」
って感じの不敵な笑みの一つも浮かべるんじゃないの?
実はそれも見たかったんだよなぁ^^;
★ taku さん
>「はるかちゃんヒャッホイ」系統ブログ代表のtakuですw
え? takuさんとこ ヒャッホイ・ブログだったの? 知らなかった… 今度から気をつけます。
相変わらず面白いですねw元気そうで何よりです・・では、また。
★ おがっち さん
ホントに面白いんですか? このブログ^^;