先日、このブログ内にある『トラ・トラ・トラ』に「訳者」さんから頂戴したコメントで御紹介頂いた本…
「黒澤明 vs ハリウッド」
表紙-表- 表紙-裏-
文藝春秋 田草川弘 ISBN4-16-367790-9
数日前に届いたので読んだ。^^
が、本の中身について語る前に この本を読む前までの 映画監督「黒澤明」と 映画「トラ・トラ・トラ」に対するブタネコ的私感を述べておきたい。^^;
古来より、日本映画の「通」達の多くは 映画監督「黒澤明」の作品を絶賛し、黒澤を「巨匠」と崇めてきた。
それに対して、私は 全く否定はしないけれども、完全に同意する気にもなれずにいる。
その頃の主な作品としては
・ 七人の侍 (1954年公開)
・ 生きる (1952年公開)
・ 蜘蛛巣城 (1957年公開)
・ 隠し砦の三悪人 (1958年公開)
・ 用心棒 (1961年公開)
・ 椿三十郎 (1962年公開)
・ 天国と地獄 (1963年公開)
・ 赤ひげ (1965年公開)
等があり、この1965年公開の「赤ひげ」までは 大変、面白いと私も思っているし、「巨匠」と呼ばれるに相応しい功績も残している。
だが、「赤ひげ」以降の作品に関しては 正直言って、私は その殆どに「面白い」と感じた事は無く、ネームバリューにギャップを感じすらしたものだ。
で、ちょうど この境目の時期に起きたのが「トラトラトラ」降板であり、「ノイローゼ」による降板…というマスコミの報道を そのまま鵜呑みにしてきたものだ。
「トラ・トラ・トラ」が 当初、黒澤明が監督…というのは知っていたが、それも やはり、「黒澤明」が総監督…という風に つまり、当時の私はマスコミの報道を そのまま鵜呑みにするのが当たり前だと思っていた子供だったのだ。
その後、殆どが雑誌の記事だったが 黒澤が「トラ・トラ・トラ」を降板したには 複雑な裏事情がある…という 細切れな情報を耳目にし、あくまでも「謎」として残る。
で、数年前の事 「トラ・トラ・トラ」に関して 黒澤が描いたとされる絵コンテや脚本の草稿を紹介しているサイトをネット上で拝見し、「へぇ…」と唸ったわけだが、降板の理由については定かではなく、やはり そこは「謎」のままだった。
で、今回 御教示頂いた本を読み、なんとなくだが その謎は解けたような気がする。
でも、これは 私のあくまでも個人感なのだが、この「黒澤明 vs ハリウッド」という本の著者は 御本人が調査の上で知った事実の全てを本の中で明かし、記述しているとは思えない。
極端な言い方をすれば 黒澤をはじめとする殆どの関係者を庇おうとしているのか、所々に大げさな表現や ミス・リードの様な記述も目立つ。
が、だからといって、それらを誤記だとか、歪曲だと 私は非難するつもりは無い。
関係者の殆どは 今では故人となっており、例えば 黒澤の家族や信奉者にとっては「ノイローゼが原因ではない」とか「黒澤に非は無い」という風に もし、それが誤解なのだとしたら 偽りの事実で被った不名誉を晴らしたい…という心理になるのは理解出来るけれども 大変申し訳無いが、その辺は 私には どうでも良い。
仮に「黒澤明」が「トラ・トラ・トラ」という映画を最後まで監督としてあり続けていたら…という推論は 黒澤信奉者には大いなるロマンだとは思うが、この本を読んで私が思った事は 戦艦「長門」や航空母艦「赤城」の実物大セットを組む…という マニア泣かせな仕業が黒澤の所業だと判っただけで実は充分なのであり、黒澤が病気だったのか?とか、「解任」だったのか?なんて事と「トラ・トラ・トラ」という映画への私の評価とは 全く関係が無い。
黒澤明の撮影風景には 数え切れないほど逸話があり、この本の中でも沢山紹介されているが… セットの色を何度も塗り直したり、セットの壁を壊させたかと思うと 直ぐ、元通りに直させたり… それが、黒澤の感性の赴くままに…で出来たところが 黒澤の黒澤たる由縁であろう。^^
でも、本書を読む限り その殆どは黒澤の自己満足でしか無い様に私には思えるわけで、観客にとって どう映るかは別の問題だと思うのわけで その自己満足の部分を「是」とするか「否」とするかの解釈によって 黒沢感が大きく変わると思う。
で、私の個人感で言えば「否」の方が強く、黒澤に対してのイメージが壊れたのは 彼は映画監督としては巨匠だったのかもしれないが、経営者としては二流、下手すれば三流だなと本書を読んでいると感じてしまうところにあり、映画監督云々とは別の次元の部分。
例えば、二十世紀フォックス社との契約内容が どのようになっていたか?を 黒澤は理解していない、その上で 自分は総監督だと思い込んでさえいる。
これは 黒澤本人の責任もさることながら周囲の人物に恵まれず、下手すると 周囲の人物がいい加減に二十世紀フォックス社と黒澤の間で意識的か否かは別として、きちんと意志の疎通を図っていなかったフシもあり、その辺を著者は 誰も批判しようとせずに記述しているけれど その記述は、わざわざ「謎を解き明かす」と銘打った本の割には玉虫色すぎる。
でも、ハッキリしているのは たとえ、どんなに玉虫色で紛らわせても 黒澤明という人物が 良い意味では「頑固」とされながらも、それは「他人の意見を聞こうとしない」独裁的人物である事の裏返しに過ぎず、であるならば 予算やスケジュールを念頭に置かない経営者など 経営者と名乗ることすらおこがましいからだ。
ゆえに、「病気」が降板の本当の理由かどうかよりも、「放漫経営」という点で 充分に二十世紀フォックス社は黒澤プロという下請けを切り捨てるのは至極当然だと思う。
「山本五十六」 阿川弘之:著
「黒澤明」が「トラ・トラ・トラ」の脚本草稿を練るにあたって参考にしたんじゃないか?とされる書である。^^
この書は「山本五十六」にスポットを当てた作品の中で群を抜いた書であり、山本五十六と言う人物が どんな人物だったのか、その人間像をつぶさに表した一冊だと私は思っている。
特に、この書の傑出した部分は 太平洋戦争が火蓋を切る少し前、山本五十六が海軍次官から連合艦隊司令長官へと移る前後の事情や情勢が克明に記述されており、開戦やむなきに至り、連合艦隊司令長官として 出来得る事は何か?を熟考した上で真珠湾攻撃を発案し、実行するプロセスも判りやすく説得力がある。
だから、「何故、真珠湾攻撃なのか?」と考えた場合 この辺の事情を背景として理解する事は必要だと私も思うし、そこに着目した黒澤明は「さすがだな」とさえ思う。
と、同時に「トラ・トラ・トラ」が映画として優れていると思える もう一つの理由が
「真珠湾は眠っていたか 3 歴史の審判」 ゴードン・W・プランゲ:著
著者のゴードン・W・プランゲについて簡単に述べると 1937年に27歳という若さでメリーランド大学の歴史学の教授になった人物だが、第二次大戦時は米海軍に在籍し階級は少佐
戦後、1945年12月から1951年7月まで アメリカ極東軍総司令部に勤務し、1946年10月から1951年6月までは情報部戦史課長の職にあり、後に「マッカーサー戦史」と呼ばれる文献の編纂を担当者として知られ、日本にも赴任しており、その間に 自分の持つ権限を利用して 個人的に真珠湾攻撃の戦史研究を行い、当時の日本軍関係者からも相当な事情聴取を行っている。
そんなプランゲが、自分の研究の中で「日本の攻撃の部」だけを抽出し、日本向けに1966年にリーダース・ダイジェスト社が発刊したの「トラ・トラ・トラ」というタイトルの本で 映画「トラ・トラ・トラ」の原作とも言われている。
その後、プランゲは1978年に ようやく、自分の研究の集大成をまとめ上げ、書として発刊しようとしていた矢先の1980年に死亡し、発刊は見送られていたが、翌年1981年が真珠湾攻撃40周年の区切りの年である事から、遺族や友人・知人など関係者がプランゲの遺した原稿を整理して出版したのが 原題:「At Dawn We Slept」邦題:「真珠湾は眠っていたか」である。
ちなみに、この書は講談社から
「真珠湾は眠っていたか 1 運命の序曲」
「真珠湾は眠っていたか 2 世紀の奇襲」
「真珠湾は眠っていたか 3 歴史の審判」
として、全三巻に分けられて発刊されたが、現在は廃刊となっており入手は困難である。^^;
(従って、上の表紙画像は 私が所有する「真珠湾は眠っていたか 3 歴史の審判」の表紙をスキャニングしたものである。)
この書では 従来、真珠湾攻撃は 日本による騙し討ち…とされているけれど、
(それは今日でも表向きの定説となっている。)
プランゲは 日米双方の膨大な資料や証言を分析し、検証した結果として
「実は アメリカは日本の攻撃を事前に把握しており、むしろ”騙し討ち”という形にさせて
ルーズベルト大統領をはじめとする米国政府首脳は政治的に利用した」
という結論を導いている。
20世紀フォックス社は映画「史上最大の作戦」の大成功に続いて 太平洋戦の映画を作ろうと構想し、プロデューサーは プランゲの「トラ・トラ・トラ」に着目した結果、映画「トラ・トラ・トラ」の製作構想となった…という流れは充分に理解出来る。
が、政治的配慮などもあって そのままのストーリーで…というのは、当時の時代では難しかったのであろう事も理解が出来るわけで、暗号解読のシーンは盛り込んでも ハル国務長官は事前に知っていた…という部分はボカしてあるし、太平洋艦隊やハワイに駐屯する陸軍が攻撃を事前に察知できなかった理由の中で 国務省や国防省からの連絡…という部分もプランゲの研究とは微妙に変えたストーリーになっている。
でも、「アメリカ本国では事前に知っていた」と言う部分はきちんと描いており、それだけでも 日本に対して真摯な制作姿勢だと私は評価するわけで、数年前に アメリカ万歳的に史実を無視したストーリーで描かれた「パールハーバー」という映画を「世紀の駄作」と私がクソ映画扱いする由縁でもある。^^;
で、アメリカ側である20世紀フォックス社で そういう経緯で制作が意図され、日本側の映像を日本人に任せよう…という考えも 題材が題材なだけに真摯な考えだと思うし、その流れで、「黒澤明」に白羽の矢がたち…と言う経緯は 至極、普通だと思われる。
問題なのは 黒澤側が、「日本側シーンという部分だけの下請け」だと理解していたのか否か?が根本であり、「黒澤は理解していなかった」が結論。
「何故、黒澤は理解出来なかったのか?」
という部分を明らかにしてこそ「黒澤明 vs ハリウッド」という本が「謎を解き明かす」と銘打つ価値のある本の筈だと私は思うのだが、この本の著者はアメリカ側、黒澤側双方に対して「充分に理解出来る」調の記述で角を立てようとせず、ゆえに 事実と ぼやけた推論の羅列を基に読者が想像で結論を導け…というスタイルなんだな。
だから、私の結論は「黒澤明は 自己中のワガママ・オヤジだった」って事であり、「黒澤明の当時の部下には どうやら、詐欺師みたいな諸悪の根元がいたんだな」って事でもあり、結果的に
冒頭の「登舷礼」と
ラストの 上の画
その二つのシーンだけに長門の実物大セットを作らせる「黒澤明」は凄い人だったんだ。^^…って事が判った事と、当時の日本映画製作の裏側が垣間見れて とても、興味深く 面白い本だと感じた事は けっして御世辞では無い。^^
映画「TOKYO10+01」のDVDを入手したので見たが、心の底から「見なきゃよかった」と後悔を通り越して腹立たしだけが残った。(-.-")凸
「安藤政信」が出演している…というから見たのだが、なんだかなぁ…^^;
11人の犯罪者が拉致されて ある処に集められ、命を賭けたサバイバル・ゲームに参加させられ… って、まるで「バトルロワイアル」の変形パロディなストーリー
「安藤政信」自身が台詞で「前にも似た様な…」って呟かされてるぐらいパロディ… の、つもりらしいが なんだかなぁ…
思うに「加藤夏希」は「バトルロワイアル2」の出演者だった…って事で 安藤同様、キャスティングされたのだろうけど。
二人とも 事務所の責任が大なんだろうけど、仕事、選んだ方が良いぞ。