数日前、映画「手紙」のDVDが発売された事に絡み、2004年公開の映画「イズ・エー」を語ってみる。
この映画は 少年犯罪に対するひとつのテーゼとして 一部の鑑賞者から評価が高い。
あらすじを簡単に述べれば
主人公(津田寛治)の職業は刑事。
彼は妻子を愛する好漢で 激務の合間に、ようやく取れた休日を利用して家族で食事に出かけるが
「小栗旬」が演じる高校生が 意味もなく仕掛けた爆弾により、ファミレスは爆破され 多くの犠牲者の中に 主人公の妻子も
4年後、犯人(小栗旬)は社会復帰し
元は実直な教師だった父親(内藤剛志)が 息子の事件により失職しながらも、息子が更生したと信じて見守る日々
そんな4年間に
主人公は 酒に救いを求めながらも、刑事を辞めずに 毎日、亡くなった妻子を想いながら生きてきたのだが…
ある事件がキッカケで 主人公は少年を追いかける事になる
で、この映画のストーリーには 少年犯罪に対する考え方のテーゼと共に、犯罪被害者の心理や救済に対するテーゼでもある。
昨今、少年法の改正や 犯罪被害者の救済への関心が高まっている時期ではあるが、議論する政治屋や報道するメディアの中途半端感は相変わらず否めず、人権擁護を唱える事で識者ぶったアホ共がベクトルの違う方向へと結論を導こうとする様を見る度に 多くの人々が「なんだかなぁ」と思いつつ ただ、日々が過ぎてゆく
つい先日、オン・セ-ルされた映画「手紙」の主題には 犯罪者や加害者家族が、被害者や被害者家族の姿と共に描かれ それを見た人の感想が いろんなブログに記事やコメントで寄せられているわけだが…
それらを拝読していて思うのは「被害者も可哀相だけど 加害者の家族も可哀相」と語るのは 綺麗だし、間違ってはいないと思うけど 本当に考えた上で言ってるのならともかく、取りあえず そう言ってみました…的な感想ならば 小学生の作文の方がはるかにマシ^^;
それって、言い換えれば 上っ面しか考えずに真剣に感じた風を装ってるだけにすぎないわけで、先に述べた政治屋やメディアと何も変わらない カッコつけの能書きばかりが目に付くんだな^^;
重要なのは 犯罪を犯すという事は被害者や被害者の周囲の人々を苦しめたり、悲しませたりするだけでは無く、加害者自身の周囲にも苦しみを生じさせるという事であり、それらを考えずに ただ、被害者救済や加害者の人権ばかりを議論するのは無意味だ…って事。
つまり、人権擁護の観点で加害者の人権を守れ…とだけ主張する事は 被害者や被害者家族に対しては 時に喧嘩をうっているのと同じ…って事。
にも関わらず、今までの人権擁護団体や主義者の多くは 加害者救済ばかりに夢中だったのが明らかなのに それを反省するのでは無く、「いえいえ、被害者のことも充分配慮してましたよ」というフリだけしている
同じ様に 一般市民は「まぁ、怖いわね」「そりゃ大変ね」と オバチャンの世間話のネタでしか無い。
ゆえに、「手紙」を見た後で いろんな人の「手紙」の感想を聞いて強く感じた事は
「加害者の家族にも それなりの配慮をしなければ…」
という部分が 真剣にでは無く、安易に語られすぎている危険性である。
なので、この「イズ・エー」の様に 被害者家族には加害者に対して殺したい、それもただ殺すのではなく 深い苦しみを与えた上で殺したい…という 強い憎しみを抱いている人が少なく無く、そこを考えたら 上の言葉が安易に語れるか?と問いかけたいんだな私は。
で、本筋とは微妙に違うけど…
ファミレス爆破に巻き込まれ、負傷しながらも生き残った女の子役の「水川あさみ」が とても良いアクセント的な存在感を示していた。
それと…
クレジットに「江口徳子(のりこ)」の名前があったので探したところ…
終盤、津田寛治が車を無理矢理借りるカップル(上の画右)の女役だった。^^